表銀座から裏銀座へ 〜 予定変更もまたよし
2018/7/22-26

"表銀座"なんて名前が付いていると、つい敬遠してしまう。北アルプスに登り出してから半世紀ほど経つのに、ここを歩いたことはなかった。足跡を残していない数少ない主稜線のまま。今年の夏山の行先を考えるなかで、いくつかの候補の中からここに決めた。

【 day 1 〜 空飛ぶスイカ 】

松本駅前のホテルに泊まり、7:15の大糸線で穂高駅に7:46着、8:00の第2便のバスに乗り継いで中房温泉に8:55着、合戦尾根を登って15:00までには燕山荘に着くだろうとの心づもりでいた。他に登山者がいたら乗り合いタクシーもアリかなと、一つ早い6:43の列車に乗る。いたいた、穂高駅に降りたなら燕岳に向かうに違いない。4人乗ればバス料金と大差なかろう、さっそく声を掛ける。結局、到着時刻は早くなるし、料金もバスより安く済んだ。これは幸先のよいスタートだ。

タクシーの運転手さんが言うには、あの大雨のあと全然降っていないそうだ。夕立すらないとか。ということは、2週間以上も晴天が続いているということ。「梅雨明け十日」にしては長すぎる。こちらの日程は5日間だけど、この先の天気予報も晴れマークが連なっている。雨男を自認している私なのに。

天気がよいのは即ち暑いということ。中房温泉から燕山荘に向かう合戦尾根は樹林帯の急登、随所にベンチが設けられていて休息にはいいのだが、この間隔が30〜40分程度と短めなのだ。ついつい休んでしまうので、なかなか先に進まない。ずいぶん前に登ったときは秋だったから、一気呵成に歩いたような気がする。ともあれ、途中の合戦小屋では名物のスイカ、麓からリフトで荷揚げしているのだろう。まさに空飛ぶスイカ、汗だくになって辿り着いた登山者に飛ぶように売れている。

稜線に燕山荘が見えてきた。大きな山小屋、学校の登山もあるようだから収容人数も半端じゃない。到着した山小屋の受付は混雑している。それでも一枚の蒲団に2人3人というほどでもなさそう。山小屋に着くと裏銀座の山並みが目に飛び込んでくる。このあたり、常念小屋と似た感じ、安曇野から稜線に辿り着いて、突然に北アルプスの連なりが一望となる。左端の槍ヶ岳はともかく、ちょっと見では一直線、初めての北アルプスという人が多い場所、あたりの人たちは山名同定もままならない。こちらは判っていても偉そうなことは言わない。そんな歳でもない。

燕岳を往復する。めがね岩、イルカ岩などの特徴的なモニュメントがある。こんなのあったっけと、古い記憶を呼び起こすが定かではない。まあ、記憶なんていい加減なものだ。戻って、我慢していた生ビール。小、中、大、その上にメガなんてジョッキまである。いちばんコストパフォーマンスが高そうなのは"大"、しかしメガでもよかったかな。

夕食のあとは小屋のオーナーのアルペンホルンのアトラクション、この山小屋は北アルプス主稜線では珍しい通年営業の小屋らしい。合戦尾根はともかく、森林限界を超えてからの道は冬には厳しいものがあるだろう。各シーズンのPRに余念がないが、それを真に受けてやって来たら痛い目に遭うだろうと余計な心配。日没の頃、東側のガスの中にブロッケンを見た。長く山登りをしていても見るのは初めて、いろいろなポーズをして遊ぶ。昔の人にとっては有り難い御来迎なのに、なんとも不謹慎なこと。

【 day 2 〜 名は体を表さず 】

3000m近い高地でも暑い。掛け布団を蹴飛ばし朝を迎えても平気というのは少し異常だ。今年の夏の猛暑は雲上まで駆け上がって来ているということなんだろう。明け方、小屋の表に出てみても、全く肌寒さはない。今日も明日も快晴が続く。安曇野の雲海の向こうに八ヶ岳、南アルプス、その隙間にちょこんと富士山。

歩き出すと槍ヶ岳がだんだん近くなる。今日はあの穂先の手前まで、ヒュッテ大槍が今夜の宿だ。常念岳と乗越の常念小屋も見えてきたぞ。 もとの計画ではヒュッテ西岳までのつもりだったが、予約を入れようとしたら拒否されてしまった。高齢者のツアーが泊まったら小さい小屋だと満杯ということだろう。若い人は槍まで行ってよ、ということのよう。こちらお世辞にも若いとは言えないんだけど。

表銀座縦走路から槍ヶ岳方面
表銀座縦走路から槍ヶ岳方面 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

"表銀座"という名前は良くない。まるで散歩気分で縦走できるようなイメージだが、歩いてみて判る、これはなかなか厳しい。目的地までに大天井ヒュッテ、ヒュッテ西岳と二つの山小屋を通過する。宿泊地はまだ先、思いのほか時間がかかる。針ノ木岳の麓に高瀬ダムが見える頃から東鎌尾根のアップダウンが始まる。この道を拓いた小林喜作には申し訳ないが、厭になるほど長い梯子の下りもあったりして歩きにくい。風はなくはないが、日向は暑い。日本手拭いを首筋に垂らして熱中症予防、3000m級でもこのざまとは。それでも徐々に大きくなるビラミットを励みに我慢して進んでいると、いずれは到着する。山歩きなんてそんなものだ。

けっこうくたびれてヒュッテ大槍に到着、ここは混んでいないし小屋の雰囲気もいい。10時間ほどの長い行程になったが、2泊目を大天荘ということにすればよかったのかも。そこなら有明荘やヒュッテ大槍と同じく燕山荘グループの小屋、ゆったりと刻むならそういう日程もありか。でも1日の行程としては短すぎる。立派な山容なのに巻き道で通過されてしまう不遇な大天井岳のピークを踏むことはできるのだけど。
 この表銀座コース、中房温泉のグループがヒュッテ西岳と殺生ヒュッテ、槍ヶ岳山荘のグループが大天井ヒュッテ、三つの企業グループが交錯しているのだ。宿泊者の誘致についてそれぞれの思惑があるのだろう。

【 day 3 〜 空白の時刻 】

槍ヶ岳、大喰岳、中岳、さらに穂高連峰へと連なる3000m峰が朝日に染まる。ほとんどの人が朝食前から小屋の表に出る。天気予報はずっと"晴"。いまどきの予報はスーパーコンピュータを使い多数の観測点のデータをもとに細分化されたメッシュで分析するから、極めて正確だ。むかしの山登りなら、前日16:00にNHKラジオで流れる気象通報を聴き天気図を仕上げたものだが、そんな技術を持っていてもほとんど無用の長物のような感じ。小屋の中にはこの先の予報が貼り出されているし、テレビには常時データ放送の画面が表示されている。

ヒュッテ大槍からの槍・穂高の山並み
ヒュッテ大槍からの槍・穂高の山並み (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

太陽は常念山脈の向こうから昇る。前日の長丁場と違って、この日の予定は南岳小屋まで。行程は余裕がある。槍沢を左手に見て東鎌尾根を辿る。むかし歩いた上高地からの槍沢ルートは厭になるほど長い。荷物が重いと殺生ヒュッテに辿り着く頃にはバテバテになる。この季節、稜線でも暑いのだから、あそこを歩いたら、風のないなか白っぽい岩の照り返しで酷い目に遭いそうだ。東鎌尾根のほうがマシということか。槍ヶ岳山荘まで行き、リュックをデポして穂先に登る。

夏山シーズンともなれば、槍の穂先への岩稜ルートは大渋滞すると聞いたことがある。あたりでは韓国語などが飛び交っているとも。今は登り下りのルートは別々になっているらしいが、交通整理が必要なときもあるとか。こういうのは都市伝説ではなく山岳伝説というのか、この快晴の下、何と、頂上にはわずか4人だった。たぶん時間帯の問題か、ご来光のために早朝に登る人、最初に頂上を往復して次の目的地に向かう人が一段落し、下から登って来る人がまだ到着しない空白の時刻だったのだろう。そんな計算をしていた訳ではないが、これは結果オーライ、最後の長い梯子を登り、ゆっくりと360°の展望を満喫する。

槍ヶ岳山頂から西方を望む
槍ヶ岳山頂から西方を望む (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

こういう場所は人が多いと渋滞はともかく落石の危険がある。空いているに越したことはない。さて、槍ヶ岳山荘に戻って重要な決断、予定した大キレットを経て穂高に向かうのを止め、西鎌尾根を双六小屋に向け下ることにする。2日目の疲労が残っているなか、この先の長い岩稜歩き、白出沢のガレ場の下りは避けたい。予定どおり南岳小屋まで行って泊まれば、きっと体調は万全になるとは思うが保証の限りではない。まあ、私は東鎌尾根も初めてなら、西鎌尾根も歩いたこともない。そっちの縦走でも全然構わない。何より、東側とは全く異なるたおやかな緑の山並みは魅力的だ。
 そうと決まれば即電話、双六山荘に予約を入れると、翌日の鏡平山荘にまで連絡してくれるとのこと。同じ経営だからそうなんだろう。期せずして、前2泊、後2泊が同系列の山小屋ということになった。

裏銀座縦走路から槍ヶ岳を振り返る
裏銀座縦走路から槍ヶ岳を振り返る (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

東鎌尾根と比べるとこちら側はずいぶん歩きやすい。高瀬渓谷のほうから風も抜ける。岩稜も面白いが緑豊かな稜線も素敵だ。表銀座では高山植物も終わりに近づいていて、枯れそうになっているコマクサが気の毒なぐらいだったが、こちら側では今が盛りの様相。緑の多い山域にあって異彩を放っているのは硫黄尾根だ。ギザギザの稜線、赤く焼けただれたような山肌、残雪と見紛うような白っぽい土壌、足場も脆そうだ。もちろん一般ルートではなく、とても危なそうな場所だ。

裏銀座縦走路から鷲羽岳、野口五郎岳を望む
裏銀座縦走路から鷲羽岳、野口五郎岳を望む (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

鷲羽岳から野口五郎岳へと続く稜線の上にちょこんと頭を出しているのは水晶岳、微妙に裏側、奥側の位置、赤牛岳へと続く別の稜線の上なので識別しにくい。あれですよと人に教えることの多い山だ。台形状の樅沢岳を越えると双六小屋まではもうすぐ。北アルプスには珍しい、ドーム状の山塊が目に飛び込む。さて、17年ぶりの双六小屋、あのとき、ここの印象はとてもよかった。変わっていなければいいが。

前回来たのは10月、夏山のハイシーズンではないので空いていた。今は夏休み期間、宿泊客はさすがに多いが満杯というほどでもない。出入りする登山者に従業員がその都度声を掛ける。少し風があって小屋の前の広場から砂埃が舞い込むので、さりげなく従業員が引き戸の横に立っている。「まるで人間自動ドアですね」とこちらもにっこり声を掛ける。ここはそういう山小屋なのだ。口うるさく「開けたら閉めてください」と言ったり、そんな貼り紙をしたりはしない。ここに住んでもいない、疲れて注意力も鈍った登山者に、どう対応すればよいか判っているし、経営者がそんな指導をしているのだろう。やはり大好きな山小屋だ。

【 day 4 〜 これぞ穴場 】

双六小屋に朝が訪れる。この小屋は樅沢岳と双六岳の鞍部にあって、携帯の電波が届かない。小屋から眺める山は湯股川を隔てた鷲羽岳ぐらいだ。ところが双六岳に続く稜線の高度を上げていくと、徐々に大パノラマが開けてくる。緩やかな稜線の左手に笠ヶ岳が頭を出す。振り返れば槍穂高のシルエットが浮かんでいる。行く手には三俣蓮華岳から鷲羽岳の稜線、その奥には雲ノ平と水晶岳、見る方向によって形も色も違う水晶岳の同定の難易度は高い。私は何故か得意なんだけど。

双六岳の稜線から三俣蓮華岳方面を望む
双六岳の稜線から三俣蓮華岳方面を望む (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

この双六岳、意外にも、日本百名山はおろか、二百名山、三百名山にも入っていない。ちょっと選者の見識を疑いたくもなる。山容が北アルプスらしくないとも言えるが、この眺望の見事さに比肩できる山はさほど多くない。かく言う私も、今回初めて登った。山腹に巻き道があり、三俣山荘までショートカットできるのがいけないのかも。 天候がいまいちだった前回は双六岳の山頂を通らなかった。一日の行程の終盤、双六小屋に泊まるにしても、三俣山荘に泊まるにしても、アップダウンで小一時間余計にかかるルートを避けてしまうというのはよく判る。しかし、実際に登ってみて吃驚、この山だけを目的に訪れてもいいだけの価値がある。

双六岳から黒部五郎岳、薬師岳方面を望む
双六岳から黒部五郎岳、薬師岳方面を望む (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

リュックを双六小屋に置いて、三俣蓮華岳を周遊して鏡平まで下るという余裕の行程なので先を急がない。尾根道を行き2854mの丸山を経て、2841mの三俣蓮華岳山頂に至る。丸山のほうが10mあまり高いのだ。1/25000の地図に名前すら書いてもらっていない気の毒な丸山、三俣蓮華岳にしたところで辛うじて三百名山に滑り込んでいる有り様、これが三国岳とか三国山だったら選外になったかも知れない。やっぱり名前は大事だ。
 三県境と三角点は微妙に位置が違う。三角点は富山県側にある。この山頂一帯には設置主体の異なる道標が並んでいるのが面白い。富山市、大町市、高山市と三市連名のものがあるかと思えば、北アルプス飛騨側登山道等維持連絡協議会と仰々しい名前のものもある。天気がよくて行程にゆとりがあると、こんな観察の時間も増える。前回は霧の中、さっさと山頂を立ち去ったのだから。

三俣蓮華岳まで稜線伝いに来たので、双六小屋への戻りは巻き道を行く。こちらは花盛り、カールに残った雪田と、緑のキャンバスに映える小さな花々、お花畑の散歩というところ。途中に豊富な水場もある。こんな気持ちのいい場所だと、人間ばかりか熊もいるはず。前日の夕方、双六小屋で熊を見たと話していた人がいたのを思い出す。東鎌尾根では登山道の真ん中にまだ時間の経っていない大きな糞もあったことだし。すると、這松を切り拓いた道の向こうに黒一色の姿、頭の先から足の先まで 、まるでオールブラックスといった出で立ちの単独行の人がいきなり現れた。リュックまで黒なのだから念が入っている。「こんにちは」と声を掛けて、すれ違ったあと、振り向いて「いやあ、全身真っ黒なんで、一瞬、熊かと思いましたよ」と私。「はっはっは、キャラクターもそうなんで」と即座に返すところをみると、きっとこの人は関西人かな。

4時間ほどかけてゆっくりと散策し双六小屋に戻る。主稜線を歩くのはあと1時間ほど、弓折岳のところから鏡平へ一気に下る。4日間、一滴の雨も落ちなかった。台風が近づい来そうな天気図だが、それも週末のこと、下山、帰宅まで充分に保つだろう。

鏡平山荘は比較的混んでいる。それでも蒲団に二人ということはなさそうだ。ここの宿泊者の平均年齢は高い。それも異様にと言っていいぐらい。60どころか70に近いのではなかろうか。鏡池に映る槍穂高を眺める絶景ポイントとはいえ、小屋は微妙な位置にある。若い人なら、新穂高温泉から登ってもここを通過して双六小屋あたりまで行くだろうし、下りの場合も然り。そうすると、ここに泊まって景色を愛でるのは中高年となるのは自然の勢い。面白いところだ。

池の畔の展望デッキはカメラを抱えた人たちで鈴なり状態、槍ヶ岳に雲が懸かったり晴れたりで一喜一憂、そんな姿を眺めているほうが面白いぐらいだ。夕方になると、茜に染まる槍穂高の岩肌が被写体となる。御多分に洩れず、私もシャッターを押す。表から裏から、何枚撮ったか判らない槍ヶ岳の写真がまた増える。

【 day 5 〜 フィナーレは岩盤浴 】

もう新穂高温泉に下るだけ、急ぐこともない。それでも早く目覚めるので、朝食の前後には鏡池へ。刻々と色合いを変える槍穂高の山並みは見飽きない。朝焼けの空が収まれば山腹の霧、それが池に映るのはお馴染みのアングル、ここは山を眺めるだけのために登ってくる人も多いに違いない。前日の午後から夜を挟んで、どれだけの時間眺めていただろう。確かに、この小屋に泊まる意味はあるんだ。

小池新道という登山道、ずっとむかしに辿ったとき、途中の秩父沢の徒渉に怖い思いをしたことがある。しばらく雨は降っていないし、橋も架かっているから何の不安もないのが嘘のよう。新穂高温泉から登ってきた人と大勢すれ違う。週末には台風の接近も予想されているので、日程の不安もありつつなんだろう。これから山深く入っていくと足止めも覚悟ということに。しかし、今のところは炎天が続く。

日程を通じて一滴の雨も降らなかったから、リュックから雨具を取り出すこともなかった。それが最後の最後、林道歩きで傘が役に立つというのに笑ってしまう。山道ならともかく、木陰の少ない林道歩きでは頭上からの日射、足許からの照り返しで、汗が噴き出すのだ。脇目も振らずに下って行く登山者たちはどうして傘を使わないのだろう。ところどころ林道脇に風穴があり冷気が吹き出しているのだが、そこに留まっているわけにもいかず。単調な林道歩きにも景色の移り変わりはある。正面にゴツゴツの岩山が見えてきたのは錫杖岳だ。鋭い切れ込みで切り離されているのは烏帽子岩、新穂高温泉に近づくと笠ヶ岳の頂上も見える。親子のように笠が並んでいて右の小さいほうには緑ノ笠という名前が付いている。

山中4泊の行程を終えて新穂高ロープウエイの駅に辿り着く。平日の正午過ぎ、あまり観光客はいない。山登りの人たちはずっと早く乗っているんだろう。もう林道歩きは充分なので、富山行きの特急バスで一駅、中尾高原口まで乗車。ここは長大なクリヤ谷の笠ヶ岳登山道の入口、学生時代に下山して縁なく素通りした槍見館に投宿。露天風呂特集には必ず登場する槍見の湯へ。ここは混浴。女性には湯浴み着が用意されているが、先客はいない。真ん中に平らな巨石があり、ここでゴロンとしてくださいという感じ。強い日差しに焼かれた岩はまるで岩盤浴だ。長い山旅の癒やしには最上のものかも。雲の隙間から槍の穂先も顔を出す。5日間、よく歩いた。

【 food 〜 カレーは遠いむかし 】

学生時代は山小屋とは無縁だった。テントを担いで山に入っているとき、夕食のメニューといえば赤・白・黄色、具材は同じでルウだけが違うという、ビーフシチュー、クリームシチュー、カレーの御三家と相場が決まっていた。ところが、いまどきの山小屋の食事は様変わりだ。夕食・朝食を順番に並べてみると、そのバラエティの豊富さに驚く。10000円も取っているし、ヘリで空輸しているのだからということもあるが、山男だけではなく普通の老若男女が都会の延長として訪れるという時代の反映だろうか。ヒュッテ大槍に至ってはウエルカムドリンクでワインが出るわ、メインのタンドリーチキンの他にペペロンチーノのパスタまでサービスされるのだから。双六小屋、鏡平山荘では冷たい麺が添えられていたのも嬉しい。

今回のコースのように途中に複数の小屋があるところでは競争という要素もあるのだろう。こんな写真をホームページで公開する輩がいるから、それを助長しているとも。ただ、泊まってみて食事が美味しくて私の印象に残っているスゴ乗越小屋と船窪小屋が、競合相手もなくそこに泊まるしかない立地であるのは、あながち競争だけでは論じられないようだ。ともあれ、下山してワサビ平小屋の表の水槽に浮かんだ果物の色の鮮やかさ、槍見館の囲炉裏端に並んだ鮎の塩焼き、朴葉の上で焼く飛騨牛、岩魚の刺身などを味わうと、やっぱり麓はいいなあなんて。もっとも、長い山歩きのあとだから余計に美味しさが増すとも言える。

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