立山・劒岳 〜 天気晴朗ナレドモ
2021/9/22-25

9月下旬の連休、立山・劒岳を歩いてきた。この両山は、半世紀ほど前の学生時代、私がリーダーで下級生と来たのが最初だった。そのときのメンバーは、間もなく300名山踏破というT君と、夭折したN君だった。時の流れは速い。この8月の朝日小屋滞在では散々な天候だったが、うって変わって今回は雨具不使用で終わった。それでも山登りにはいろんなことが起きる。

【 day 1 … 9/22 】

雨が多かった夏のせいで、今年の梨は不作だと聞いた。地元呉羽名産の幸水を、富山地鉄の駅構内で売っているのを見つけ1個購入。美女平でのバス待ちに食べる。名前の由来の美女杉に対座し、屋外のベンチでのんびりと。夏もそろそろ終わりだ。今夜は雨でも、明日から晴天が続く予報が出ている。今日の歩きは10分だけ、立山室堂山荘に投宿。

日本最古の山小屋という立山室堂、その室堂自体は復元改修されて、中は博物館のようになっている。立山室堂山荘はその隣、シーズン初滑りのときに泊まっていたのはホテル立山だったので、この立山室堂山荘は初めて。同期のS君が先日薬師岳まで縦走した際に利用したので、様子は聞いていた。ホテル立山から至近なのに、値段は10,000円を切り格安。大きなお風呂もあるし、清潔な枕カバーと2枚のシーツ、雰囲気のいい吹き抜け階上の談話室は寛げる空間だ、宿泊者抑制下で相部屋なのに個室。山小屋としては破格だろう。食事はまあ普通だけど、モンベル会員には缶ビール1本のサービス付くのが嬉しい。
 山登りの人だとバスを降り身支度を整えたら先を急いで通過、観光目的の人なら昼間の散策だけの人が大多数なんだろう。エアポケットのような山小屋、これは穴場と言っていいかも知れない。

夕食あと雨が降り出した。でも、止むとわかっているのは気持ちが楽だ。台風のあとに秋雨前線が連なっていた8月とは大違い。室堂の標高は2450m、朝日岳山頂が2418mなのだから、それ以上の場所に機械力で辿り着いたわけだ。もっとも、それが後に尾を引くとも知らず、八千尺の夢を結ぶ。

【 day 2 … 9/23 】

山小屋にしては遅めの6時からの朝食、この日の行程は立山から別山まで縦走して剣沢小屋に下るので、時間の問題はない。夜のうちに雨もあがって晴天、室堂平では何ともないものの、稜線に出たら風が吹いているだろう。低気圧が抜けた後の吹き出しが来ているはず。そんなことを考えながら一ノ越へのトラバース道を行く。この道を雪のないときに歩くのは初めてだと思う。スキーだと一ノ越まで登っても下りはほとんど斜滑降になるから、あまり面白くないコースだった。

室堂山荘の向こうに大日連峰 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

1時間足らずで一ノ越、予想どおり風は強い。この先、風除けになる樹林は皆無だから、ずっと悩まされそうだ。雄山山頂まで1ピッチ、左側からの強風を受けながら、高度を上げていく。立山・劒岳の山並みは富山から遮るものなく眺められるということは、それだけ日本海からの気象影響を受けるということだ。後立山連峰だと西側に大きな壁があるため、影響が緩和されるのとは大きく違う。それは先日の朝日岳でも実感したところ。

風が強いから休憩は小屋の陰で。ここまで登ると南方に五色ヶ原が見えてくる。あんなに近かったか。その先には薬師岳、S君がひと月前に歩いたコース、私は逆ルートを5年前に歩いている。雄山へは反対方向、北へ、急な登りで小一時間。ここから先の稜線づたいは、ずっと吹きさらしになる。中厚の上着にレイヤードなので防寒の問題はない。

半世紀前の記憶が残る雄山山頂に辿り着く。頂上が神社、初穂料700円を払って神域に入る。登りの途中から右のこめかみあたりに微かな痛みを感じていたのは、軽い高山症なのだろう。いきなり3000mだから充分にあることだ。何度も経験していることなので、予防的措置で社務所の前でロキソニンを1錠、お祓いを受けている間に痛みは消える。著効、速効の薬は山登りには必携。

タモリに倣って70歳で富士登頂という選択肢もあったわけだが、最高峰とはいえ魅力を感じないし、たぶん登ることもないだろう。同じく日本三霊山、立山雄山神社でお祓いを受ける。麓の岩峅寺に社殿があるので、ここは立山頂上峰本社ということらしい。この日が禰宜さんの最終勤務日ということだった。登山者が次々にやって来るので、15分毎に祈祷奉仕、さすがに手慣れたもので、朗々とした祝詞は言葉が明晰だし心地よい響きだ。通常は山頂で執り行うらしいが、折からの強風で社務所内で代替となる。風速としては最大50km/hぐらいだったかと思う。

風速で思うのは、我々が天気予報や台風情報で馴染んでいるm/sよりも、km/hのほうが体感としてわかりやすいのではないかということ。よく当たる山の天気のサイト、mountain-forecast.comでは風速表示がkm/hになっている。どうもm/sは日本独特の表示のようだ。5km/hならウォーキングで受けるそよ風、15km/hなら自転車で走るときの風、50km/hならクルマの窓を開けたときの風、80km/hならスキーで飛ばしたときの風、そんな感じか。こっちのほうがピンと来るのは私だけではないと思うのだけど。

立山というのは、雄山、大汝山、富士ノ折立の総称、下から見上げると稜線のギザギザを構成するピークになる。それぞれの距離は短い。岩の多い尾根が続く、その先の真砂岳への道は名前のとおり礫が主になるから、様相が変わる。いずれにせよ風が西から東に抜けることは変わりがない。風下側には黒部湖も見えてくる。

一定に吹くのではなく風の息というものがある。突風までは行かなくても、バランスを保つのに神経を使う。これに雨でも混じると危険な状態になるわけだ。黒部の谷側に風を避けて休憩するぶんには穏やかな晴天なのだが、急斜面で落ち込んでいるから適当な場所は数少ない。それを上手く見つけるのも山の経験というもの、先の稜線を眺めて、あそこと目星を付ける。ぼーっと歩いているわけではない。

稜線歩きは別山を経て剣御前小屋まで。剣沢を下り始めると風は収まる。まあそういうものだが、この日はそれが極端だった。明日になれば高気圧の吹き出しもなくなるはずだから、正念場の劒岳往復も問題ないだろう。

三田平のテント場はけっこうな賑わい、次々に到着するパーティがいる。剣沢小屋はさらに少し下る。この小屋には長次郎谷をスキーで降りたときに滞在したはずなのに、なんだか雰囲気が違う。場所が少し移転して、建て替えられたようだ。かなり手狭だ。小屋内で寛ぐ場所は、蚕棚の寝床を別にすれば、食堂と狭い談話室だけだ。以前の小屋は、もう少しゆったりしていたような気がする。

【 day 3 … 9/24 】

前日の夕食時、小屋のスタッフが明日劒岳に登る人にということで、レクチュアがあった。手作りのルート図を示して、要注意点や持ち物など懇切丁寧な解説。「下りルートのカニの横這いは、トラバースに移るとき、はじめに右足をマークに置いてください。左足を置くと、次に右足を置く場所がなくなります」といった調子だ。それこそ大昔、小学校の林間学舎で先生が山の歩き方を教えていたのと同じだ。中高年者が多いから、考えようによっては子どもと同じと言えなくもない。人生経験は積んでも、体力は衰え、頭は固くなっていて人の言うことを聞かないという点では、より始末が悪いとも言える。現実に宿泊者の事故が発生しているようなのでスタッフも真剣、こちらはルート経験者だけど真面目に話を聞く。

夜が明ける。劒岳の岩場を往復するには絶好の天気だ。快晴微風、岩で滑ることもないだろう。未明に稜線を行く人のヘッドランプの明かりが見えたけど、ご来光趣味のない私はそんな危険なことはしない。すっかり明るくなった6時の出発。剣沢を渡り剣山荘を過ぎると鎖場も出てくるが、核心部はまだ先だ。

剣沢小屋の朝、これから向かう劒岳 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

普通の登山道と違い急な岩場が続くルートは、どんどん高度を稼げるから嫌いじゃないし、あまり疲れも感じない。足を大きく拡げたり上肢も動員するので、使う筋肉が違ってくる。到着後のケアとして毎日のバンテリンは欠かせないが、今夜は塗る場所が違ってくる。

また少し頭痛の気配を感じたので、今日もロキソニンを1錠、去年の山登りで歯痛に襲われた際にこの薬で助かって以来、山行きの薬箱には欠かせないものになっている。下界にいるときにはそんなことはしないが、山では先回りして呑む。

劒岳への途上、立山連峰を振り返る (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

一服劒、前劒、本峰と主なピークは3つ、山登りのテレビ番組には必ず出てくる幅30cm長さ4mの鉄橋、風がないので不安もない。ここから先は鎖場が連続する、最後にカニの縦這いの長くて急な岩場を登る。鉄橋、鎖、梯子、このコースをそんな人工物なしに登るとしたら大変だ。岩場は何よりルートファインディングが重要、ペンキのマークがあるからそんな心配もないわけだが、全てがない状態だと一般登山者には無理。登れたとしても下りが大変だ。かなりの確率で滑落することになるだろう。オリンピックのスポーツクライミングじゃないから、落ちたらお終い。

三度目の劒岳、天候にも恵まれ、無事登頂を果たす。たぶん、北アルプスではいちばん厳しい一般ルートだと思うが、よく整備されているので、慎重に行動すれば問題はない。見ていて危なっかしいと思う人もいるので、岩場の熟達者でも何でもないが、困っている人には声をかける。若い女性に「ゆっくりでいいですよ、慎重に」とか、逆層スラブの鎖場で難渋している中年男性に「上体を岩から離して、足と岩の角度を大きくとって」とか。物理で習ったベクトルの原理だけど、慣れない人は頭で解っていても実践できないものだ。

2時間半ぐらいで登頂して、下りは2時間ぐらいかと思っていたら、意外に時間がかかった。登山者も多くて行き違いもあるし、鎖場の待ちもある。何よりこちらの行動も慎重を期すから当然の帰結。山頂はそれなりの広さがあって、前日とうって変わった穏やかな天候の中、四囲の山並みを眺めて過ごす。北方稜線のはるか下に見える赤い屋根は池ノ平小屋か仙人池ヒュッテか。早月尾根のこれまた高度差のある早月小屋も見えている。

剣沢小屋の手前、崩れる気配はないがだいぶ雲が出てきたところで、登山道の脇に雷鳥を見つけた。餌を探しているのか、こちらのことなど気にせず鷹揚なものだ。立ち止まる。向こうから来る登山者に合図を送ると先方もストップ、こちらの後ろから、向こうの後ろから、雷鳥を挟んで数人が静止し雷鳥観察会、撮影会となる。

剣沢小屋に預けていた荷物を背負って、ひと山越えなければならない。時刻は13:30、休憩や待ち時間を含めて7時間以上かかった。ここに連泊としておれば、午後のひとときを酒盛りということになるのだが、あと3時間弱の歩きが残っている。気を取り直して上り坂。さすがに疲労感はある。身体だけではなく危険箇所の連続で神経も消耗しているのだろう。

雷鳥沢への下りではナナカマドの紅葉も始まっている。下山してから見た地元紙、北日本新聞、富山新聞のいずれも、この登山道の写真を掲載していたのはなんだか可笑しかった。室堂までやって来て、お手軽に秋の気配の一枚を撮ろうとすれば、記者はここにやって来るということだろう。

雷鳥沢のテントサイトから室堂山荘までの道は、コンクリートで固めた石畳、地獄谷や血の池を眺めながら長い散歩道を行く。山小屋には到着が遅くなると連絡したし、もう日が暮れようが気にすることはない。ちょうど水もなくなったので、途中の雷鳥荘でコーラを買う。ぐっと飲むと、強い炭酸で、げっぷとともに胃液が逆流してきた。うっという不快さが食道から上に充満する。これはロキソニンのせいだなあ、水をたっぷり飲んだはずでも食べ方が少なかった。胃薬を併用したわけでもなかったので、疲労と相俟って逆流性胃炎のはしりに違いない。
 山小屋に到着して、一風呂浴びても胃の不調は続く。夕食に並んだ揚げ物を見るだけで食欲が失せる。これは食べられない。初日のように蕎麦の小鉢でもあればいいのだが、箸が進みそうなものはない。スモークサーモン、野菜、パイナップルに手を付けただけで、御飯は一口も喉を通らない。これは困った。それでもモンベルの缶ビールだけはしっかりいただくのだから重症とも言えない。要は疲れだろう。朝の6時から夜の6時まで歩いたのだから。明日になれば、少しはマシになるだろう。とにかくゆっくり休むことだ。

【 day 4 … 9/25 】

山中の最終日には室堂から奥大日岳を往復してもいいかと思っていた。好天は続いているが、もうそんな気分ではない。あっさり断念、もう充分に秋の山は堪能した。

色づく立山 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

朝食は普段の半分ぐらいしか食べられなかった。それでも昨夜に比べると改善傾向だ。午前中のバスに乗るまで、みくりが池まで散策する。無風だったら逆さになった立山が映るはずだけど、さざ波があって明鏡止水というわけにはいかない。展望スポットのベンチにやって来る人たちも少し残念そうだ。まあ、それは仕方ないこと、滅多に見ることが出来ないから値打ちもあるわけだし。

みくりが池から望む立山 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

連休最後の土曜日、下山する人よりも、これから登る人のほうが多くなる。まさに老若男女、室堂ターミナルに降り立つ姿を見れば、どちらに向かうかは大概想像がつく。ヘルメットがあれば劒岳、大きめの荷物だったら雷鳥沢のテントサイト、軽装で小さな荷物なら室堂界隈の散策、都会同様の格好なら交通機関で黒部湖に抜ける。単純でわかりやすい。麓の立山駅にも室堂ターミナルにも、ひととおりの登山道具を揃えた売店があるが、にわか登山者は危険だ。隣接する立山町消防署室堂救急隊分遣所のご厄介になりかねない。劒岳の滑落だったら富山県警のヘリの出動となるのだろう。昨日は好条件だったから、パトロールはあっても遭難救助はなかったと思う。

コロナ禍のなか、二年続きで都合四度、混まない北アルプスを満喫できたのは、逆張りの成果ということだろう。下って行くバスの窓から、劒岳が見える。この角度で眺めるときれいな三角形になる。予定どおり奥大日岳を往復していたら、もっと近くに岩稜が望めたはずだけど、昨日あそこに登って来たのだから残念さはない。

夏山のハイシーズンが終わったからなのか、室堂と富山を結ぶ交通機関の連絡がよくない。乗換でけっこう時間が空く。急ぐ旅でもないし、立山駅のすぐ近くにある立山カルデラ砂防博物館を覗いてみる。てっちゃんとしては、砂防工事用軌道の18段スイッチバックを是非体験したくて、見学会に申し込もうと思っているのだが、未だ果たせていない。先ずは博物館にということ。
 想ったよりずいぶん立派な博物館だ。国と富山県から相当な予算が付いているのだろう。入場無料で有料ゾーンは400円、しかし70歳以上は無料というありがたさ。改名後の「立山駅」じゃなく「千寿ヶ原駅」世代、歳をとるといいこともある。感染症対策で特殊眼鏡をつけての3D映像ではなかったが、常願寺川の治水の歴史をまとめた映像資料は興味深かった。安政の大地震による上流の山体崩壊がきっかけとは知らなかっし、カルデラ内にあった立山温泉が閉鎖された理由も展示を観て腑に落ちた。

館外に出ると、トロッコ軌道が川沿いに延びている。複数の円弧を描いて車庫への引込線も見える。内と外、これはとても電車待ちの時間つぶしなんてものじゃない。映像資料は全部で3本あるようだし、博物館だけで半日かけてもいいぐらいだ。それに砂防体験学習会でのトロッコ乗車が加われば、丸一日の充実した時間が過ごせるというもの。コロナ禍で中断していた砂防体験学習会も再開されるようだし、来年こそ絶対に申し込むぞ。

駅から博物館に続く広場、ロータリーになっていて、駅を出たところには、熊王の水という名水がある。一帯を無電柱化する計画があるようで、今でもいい雰囲気なのだが、さらによくなりそう。ヨーロッパアルプスだったら、広い歩道に設けられた屋外席でワインというところだが、私はお昼ごはんの蕎麦、店の前の席で食べていると想わぬ客寄せ効果となる。それでもほとんどの人は電車とケーブルカーの乗換で駅の外に出ないのはもったいないことだ。

前日から続いていた胃の不調は美味しい蕎麦で回復基調で一安心。前回の山行では下山後に外傷、今回は内臓に来た。いずれも大したことなく済んだのは幸い、日程や状況判断、年齢を考えて山登りは慎重すぎるぐらいがちょうどいいのかも。

【 余談 】

いつもながら余談の多い紀行文だけど、ヤマレコのサイトに溢れる無味乾燥な記録を書くつもりもない。あれはあれで、最新現地情報の確認には役に立つのだけど。
 ということで、何の役にも立たない情報だが、富山で見かけたご当地ナンバーに思わず見入ってしまった。これは富山湾を挟んだ雨晴海岸からの劒立山連峰に雷鳥をあしらったデザイン、どちらも今回の山登りと関わる。それと、モノトーンというのがまたいい。こういうナンバープレートだったら、お金を払っても惜しくない。自分のご当地、奈良のナンバーはダサいことにかけては、全国有数のものと思っているだけになおさらだ。県南の飛鳥ナンバーが秀逸なだけに、残念極まりない。旅に出るといろんな気づきがあるものだ。

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