北アルプス朝日小屋滞在記
2021/8/9-15

一週間かけて北アルプスに出かけたと言えば、主稜線の大縦走みたいだけど、北端の朝日岳を西から東に越えただけ。それで天気の悪さがわかるというもの。台風に続く秋雨前線は日本各地に水害をもたらした。山登りを中止した人も多かったに違いない。登山道も山小屋も閑散としたものだった。こんな天候不順に見舞われたときに出かけるのも尋常ではないが、そのぶん無理はせずに、麓や山小屋での停滞日数が増えることになった。見方を変えればゆったりと山登りを堪能したと言えなくもない。

台風〜温帯低気圧〜停滞前線の一週間の天気図推移と、朝日岳越えコースマップ
 (天気図の上にカーソルを持って行くと静止)

【 day 1 … 8/9 】

奈良の自宅を出たのは9日の朝、列車の予約はしていたものの、きっと台風9号接近で湖西線は運転見合わせになるだろう。金沢行きサンダーバードが米原経由になると到着が遅れる。早い列車に変更したおかげで、予定どおりの乗り継ぎで泊に到着した。宿の迎えがあり、小川温泉元湯まで30分もかからない。もっと山奥のイメージだったけど、意外に海から近いのだ。前泊して、翌日に朝日小屋という予定だが、雲行きは怪しい。計画の変更も視野に入れるとして、先ずは温泉。内湯で汗を流したあと、10分ほど歩いて露天風呂に向かう。湯の華が凝固した天然洞窟で、混浴だけど男女とも湯浴み着をつける。出がけにフロントで言われたように、とても虻が多い。さっそくあちこち刺されて痒い。蚊と違って一日や二日ではでは戻らない。それで周囲にネットが張り巡らされているのか。今年は異常発生とのことだった。

宿の横を流れる小川、その固有名詞は冗談だろうと思うほどの濁流となり、流木が引きも切らないありさま。雨は降り続く。10日の入山は諦めて連泊を決断、山登りの前にいきなり温泉三昧、順序が違う気もするが、自然には勝てない。朝日小屋に連絡すると、小屋番の清水ゆかりさん曰く、「能登半島沖を低気圧が通過するときは、朝日岳は大荒れになるので、一日延期するのは賢明です」
 予約していた北又小屋までのタクシーも延期、こちらも清水さんは、「行程が長いから、7時には歩き出してくださいね」としつこくおっしゃる。一日出発を延ばしたら、うまく行けば翌々日まで天気は保つかも知れないと、雨男にしては淡い期待。


【 day 2 … 8/10 】

前日に登って行ったパーティは朝日小屋で足止めをくって、明日下山という情報も入っている。やはり山は荒れ模様のようだが、麓はさほどでもない。温泉でふやけてしまうのも何なので、宿で大きな雨傘を借り、泊駅まで送ってもらい親不知に行ってみる。もともとは北陸本線だけど、あいの風とやま鉄道とえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインに名前が変わった。2路線だけど直通運転で20分足らず。北陸新幹線の延伸に伴う並行在来線の経営分離の結果にしても、このネーミングは何とかならなかったものか。

親不知一帯の観光案内の看板があるだけの無人駅、下車する人影は他にない。傘をさして歩き出す。遊歩道があるわけでもなく普通の道だ。国道8号と合流するところに道の駅親不知ピアパークがある。さらに進むと、国道脇の歩道がなくなる。ちょっと待ってくれよ、この先、親不知の核心部までにはトンネルもあるし、トラックの通行も多いから危険、これは引き返すしかない。結局、道の駅で昼ご飯。

おもに土産物なんだろうけど、海産物が並んでいる。その場で食べられるとのことで、ズワイガニを一杯購入。トレイには料理鋏と蟹用フォーク、おしぼり付き。店の前のテーブルでほじっていたら、つられて購入する人がいる。客寄せしてしまったかな。歩きの特権、潮の香りに冷えたビールは堪えられない。

道の駅の目の前は海水浴場になっている。遊泳禁止の赤旗が立っていて渚で遊ぶ人もわずか。低気圧は抜けたが波は少し高い。海岸ぎりぎり、場所によっては海の上に張り出した国道8号と北陸道、高架下の道の駅、トンネルで抜ける鉄道と、ここは交通の難所であることは間違いない。

宿に戻れば二日目の夕食。前夜の献立があまりに盛りだくさんだったので、少なめにと依頼した結果、肉よりも魚中心で質重視の品が並ぶ。登山前にどうかと思う岩牡蠣だけど、夏の味覚の魅力には抗しがたい。名物の白海老やバイ貝も。これは予定外の散財かな。さすがに宿の売店に鎮座していた巨大な入善スイカは出なかったけど。

   

【 day 3 … 8/11 】

さて、1日遅れで入山、小川温泉から北又小屋まで一般車の乗入れは禁止、許可を受けた黒東タクシーだけが通行でき片道10,500円、地元の朝日町から一人あたり1,000円の補助金があるので、大人数でジャンボタクシーだと単価が安くなる。ヘンな会社名だと思ったが、きっと黒部川の東側が営業圏なんだろう。社長は81歳とかで、この日も北又小屋まで先陣切って出動。私の乗ったクルマの運転手は、落石でパンクが頻繁なので、この道は好きじゃないとか。「一時は潰れかけたみたいですけど、新幹線が来て補助金とかもあって、一息ついたんです。田舎のタクシー会社なんてブラックが多いんですけど、うちには労働組合もあるんですわ。組合員は3人ですけど」と、聞きもしないのに色々と話してくれる。途中の急カーブやギャップでの徐行、落石の除去なんかで、時間がかかる。

この林道ではむかし大きな事故があったのを覚えている。朝日小屋で清水さんに尋ねたら、彼女が大学生の頃、昭和56年8月16日のこと、その日は朝日小屋にお父さんといたらしい。地元の厚意でトラックで登山者を運んでいたところ、山側の枝を避けるために少し谷側に寄せた際に、路肩が崩れ転落事故となったそうだ。何人かが亡くなり、お父さんは警察に出頭を求められたりで大変だったらしい。今でもお世辞にも快適な道とは言えず、一般車乗り入れ禁止も宜なるかなという感じだった。

北又小屋には人の姿がなかった。中に入って宿で作ってもらった朝食の弁当をいただく。吊り橋を渡れば、いよいよ登山道、思っていたのと川の流れが逆だ。それは地図を見れば判ること、途中の越道峠が小川と黒部川の流域を分けている。
 イブリ山への登りは長くて急だ。一合目から十合目まで、標識が立っている。奇数の合目で休憩するとちょうどいいペースになる。中には熊が囓った跡が付いているのもある。何で朝日岳でなく途中のイブリ山が十合目なのか、訝しく思っていたら、イブリ山に到着して謎が解けた。

眺めもない暑くて苦しい登りの末に、イブリ山で状況が一変する。そこからは傾斜も緩やかになり、北アルプスらしい景観に変わる、曇りがちながら、背後に劒岳が遠望できるようになり、目を凝らせば槍ヶ岳の穂先も確認できる。進むにつれて、朝日岳、雪倉岳、白馬岳の連なりが近づいてくる。足許には豊富な高山植物、池塘や池、夕日ヶ原というお花畑を過ぎれば、朝日小屋は近い。

登り出して7時間ほどで小屋に到着。チェックインするとウェルカムドリンクとしてハーブティが出てきた。半世紀以上前に蓮華温泉から登ったときはテントだったし、当時の小屋は建て替えられていて、あまり記憶は残っていない。この日の宿泊者はわずか10名、昨シーズンは営業休止だったし、北アルプスの端っこのここまで足を伸ばす人は多くない。何よりコロナ禍、加えて台風の接近、悪天候予報でキャンセルが相次いだもよう。テントの数のほうが多い。部屋で一息入れてから小屋の前のテーブルで、白馬岳への山の連なりを眺めつつ、缶ビールと持参したおつまみで過ごす至福の時間。

以前泊まった船窪小屋と並び、ここ朝日小屋の食事は山屋の間では評判がすこぶる良い。それで、期待の晩ご飯、その内容は全く以て山小屋らしくない。食前酒に始まり、メインは陶板焼で、おでん、茶そば、蛍烏賊の沖漬け(清水さん手作り)、昆布締めの刺身、デザートも付く。ちょっとこれでは富山産コシヒカリもさることながら、日本酒が欲しくなる。今シーズンは朝食の提供はないので、その代わりに炊き込み御飯の販売(これがまた美味しい)と、行動食に笹寿司(鮭・的鯛・胡桃)もある。評判に違わぬ充実振りだ。たんに料理だけではなく、船窪小屋同様、主人のホスピタリティが加わったものだ。

    

【 day 4 … 8/12 】

この先、天気予報はずっと雨続き、まるで梅雨だ。なんとか午前中は降らずに、白馬岳まで行けたら御の字、そんなつもりで清水さんに見送られ朝日小屋を出発。振り返ると小屋の背後の前朝日がアクセントになっている、1時間足らずの登りで平らな朝日岳山頂に着いた。2418m、北アルプスではさほど高くはないが、最北にあるぶん、植生はもっと標高があるような感じだ。

朝日岳の山頂を経て雪倉岳に向かう道、実はあまり踏まれていない。小屋のスタッフが最近刈り払いをしてくれた模様だが、刈られた草や笹が登山道に積もっているので滑りやすい。思いのほか下りに時間がかかる。そうなんだ、この道は朝日小屋や小屋前のテントサイトに泊まる限り、水平道に迂回されてしまうのだ。つまり、北又小屋から登り、雪倉岳、白馬岳に向かう登山者しか通らない道なのだ。

朝日岳を下って朝日小屋からの水平道に合流したあたりで雨になった。これはちょっと早すぎる。この先の長い登り、天候は悪化するだろうし、稜線は遮るものもなく風に吹かれると具合が悪い。雪倉岳の避難小屋をあてにするのは邪道。ここは無理は禁物、あっさりこの日の縦走を断念する。結局、4時間ほどの朝日岳回遊となり、再び朝日小屋へ。さっき一緒に記念撮影した客が戻ってきたわけだ。時刻はまだ10時、連泊に決定。

行程途中で引き返したこの日、水平道ですれ違った単独行の若者、聞けば富山県警の山岳パトロールということで、こちらが高山植物を眺めながらのんびりと水平道を辿り小屋に戻ったとき、彼氏はトランシーバーで朝日小屋にすれ違った登山者数の報告を入れていた。何と、もう雪倉岳だと。強靭な体力、さすが山岳パトロールだけのことはある。清水さん曰く、山岳レースでも好成績をおさめている期待の星だとか。そう言えば、小屋の入口には朝日岳方面山岳遭難対策協議会山岳救助隊員詰所という看板も掛かっていた。

雨のなか、テント泊なんだろう、大きなザックなのに軽い足取りで到着した青年、話を聞いてみると、栂海新道を登り乗鞍岳まで歩くんだとか。劒岳にも寄り道のつもりだけど、この天気じゃ予備日を使い果たしてしまいそうとの弁。荷物は35kgということなので、昔と違って装備の軽量化は目覚ましいものがある。ちなみに、前日のテント泊の人たちの中には、親不知から一日で登ってきた猛者が複数いたとは清水さんから聞いた話。どうもここは槍穂高や白馬とは別人種が来るところのようだ。

前日と違って個室をあてがわれ、料金は連泊1,000円引き、そして食事の案内は通常の宿泊客から15分遅れ。その理由はメニューが違うから。食事前の料理の説明は、前日の繰り返しになるからという配慮なんだろう。この日の夕食は、鯖の味噌煮とシチューがメインで、餃子なども加わり、あり合わせで作ったということだが美味しい。宿泊者は前日よりも少なく8名。

清水さん曰く、「今年は秋が早いです。天候不順でキャンセル続き、それにお盆に混むのは昔の話、いまは休みが取りやすくなっているし、孫に会うためお盆は街にいる年寄りが多いから、かえって逆ですね」
 なるほど、中高年登山者の割合が大きいとそうなるのか。山小屋停滞で暇なものだから、清水さんといろいろお話しする。この先も雨続きなので、翌日は多少のことなら蓮華温泉に下りるつもりで、最新現地情報を収集。私の持っている昭文社の古い地図だと、途中の白高地沢は「渡渉する 増水時不可」なんて書いてあるが、今は立派な鉄橋がかかっているらしい。それで少し安心、五輪尾根までの稜線で吹かれなければ大丈夫だろう。
 「あっちは新潟県なのに、前は朝日小屋から橋を架けに行っていたんですよ。木橋を架けても何度も流されてしまうので、糸魚川市に何とかしてくれと陳情して、ようやくできたんです。億のお金がかかったそうです。それで大きな二つの沢にはしっかりした橋があるので問題ないですが、この雨だと途中の名もない沢が増水していて、普段だと石づたいにピョンピョンと行けるところが、ジャブジャブになりますけど、気をつけてくださいね」

少し後に朝日小屋に泊まったクラブの後輩から聞いたところ、翌13日の宿泊は2名、そして14日から18日の5日間は皆無だった由。お盆の時期にこんな状態とは、清水さんがお父さんから経営を引き継いで20年余りで初めてのことらしい。長雨に加えて交通機関の運休も影響したのだろう。

 

【 day 5 … 8/13 】

夜中に激しい雨音も聞こえ、根が小心者ゆえ、何度も目が覚める始末だったが、起きてみれば小康状態で、降ってはいても風はない。宿泊した人たちは皆、蓮華温泉に下山するようだ。とにかく樹林帯までは早めに達したい。長丁場になるのはわかっているので、多少時間がかかろうが安全第一だ。前日に続いて連日の朝日岳登頂。そこから先はひたすらの下り。吹き上げのコルなんて、名前からして強風が抜けそうな場所だけど、幸いなことに穏やかと言ってもいいぐらいだ。栂海新道へのルートの分岐では、後から出発した若い女性二人組が先に下りて行った。彼女たちは山頂でも休んでいなかったし、元気なものだ。

清水さんのおっしゃるとおり、蓮華温泉への下山は、道を歩いているのか、小川を歩いているのかわからないような状態、植生保護のために敷かれた木道が、こういうときは滑って危ない。何度か転びそうになった。とうとう五輪尾根の下りでは、バランスを崩して思わず突いたストックに力が入り、真ん中のシャフトがぐにゃっと曲がってしまった。まるでアルペン滑降競技のストックだ。あれはクラウチング時の空気抵抗を減らすとともに高速でバランスを保つためのもの、突くものじゃないから山の下りには役に立たない。以降は1本ストックとなる。修理代はアウトドアの保険で補填されるのだろうか(後日、パーツ交換1,100円は免責金額内と判明)。

何本かの小さな沢を横切る。危険なのは石づたいに歩くこと、どうせ靴の中まで浸水しているのだから、流れの中の平らな箇所に足を踏みおろすのが基本、靴の中が暖かくなったり冷たくなったりの繰り返しだ。こんなふうに、丸一日、雨の中を歩くというのは、大学1年生のときの白山の夏合宿以来じゃないかな。40〜50分歩いては短い休憩、やがて尾根筋の下りも終わり、白高地沢に出合う。渡渉できなくもない水量と傾斜だが、ずいぶん高い位置に立派な橋がかかっている。これが億の金をかけた恒久橋なんだ。

もうひとつの立派な橋がかかっている瀬戸川、こちらの水流は凄まじい。瀑布という感じで、橋がなければ絶対に渡れない。ここを過ぎれば蓮華温泉まで少しの登り。兵馬の平という湿原を抜け、キャンプ場を過ぎると、やがて記憶にあるロッジが見えてくる。リスクゼロではないと自覚しながら歩いてきた道もようやく終点に達する。

バスが入る宿だが、ここは山小屋仕様、ずぶ濡れで到着した登山者への対応を心得ているのが嬉しい。真新しい雑巾を手渡され、雨具から、ザックから、ひとしきり拭けば、ボトボト状態に。そして、たっぷり水を含んだ登山靴は、乾燥室のスペシャルポジションに置いてくれるそうだ。

もちろん、濡れたものを片付け、人心地ついたら温泉しかない。ここには春に天狗原からスキーで下り、平岩まで抜けたことがある。あの頃は内湯も周りの雪で埋めながら熱い湯に入った記憶があるのだが、いまは完全な内湯になっている。改築しているようだ。先客が一人いて、きっと気持ちいいのだろうが、5分おきぐらいに「あぁーっ」と声を発するので、ちょっと気味が悪い。勝手に間欠泉オジサンと命名する。そして、風呂上がりには生ビールが待っている。栂海新道の分岐で先に行ったまま、とうとう蓮華温泉まで追いつけなかった二人組の女性もいる。聞けば、休むと気持ちが萎えそうだったので、腰をおろすこともなく蓮華温泉まで歩き通したとのこと。30分ほど早く到着したようだ。実際は小沢の徒渉など、怖かったとも言っていたから、事故がなくて何より。後続に誰かいるというのが安心感にもなるのかも。

結局、富山県から新潟県へ、朝日岳を越えて温泉から温泉へという山行となる。去年の北アルプスも空いていたが、今年はこんなことでガラガラ、山小屋は快適、一週間かけて温泉と食事を堪能。そんなことで、大団円を迎えたと思うのはちと早計、波瀾万丈の旅はまだ終わらない。最後にどんでん返しが待っていた。

 

【 intermission … alpine plants 】

雨続きで遠くの峰々を眺めるより足許の高山植物を観ることが多かった。
 山小屋にあったポケット図鑑で名前を同定できたのは半分にも満たない。
       (写真の上にカーソルを持って行くと静止)

【 day 6 … 8/14 】

もう山道は歩かないので、止まない雨も大して気にはならないが、歩いて露天風呂に行くとなれば少し事情は違う。全く屋根がないので、宿で衣類を入れるビニール袋をもらい、大きめの傘を借りて出かける。徒歩5分、一番近い黄金湯。それでも、濡れずに着脱するのには一苦労だ。でもパンツ一丁で来るわけにもいかないしねえ。木の枝に傘を挟んで屋根がわり。お風呂は畳三畳ぐらいの広さしかない。ちょっとぬるめかな。雨の中、誰もやって来ない占有状態。

大雨で大糸線は止まっている。動いているのは北陸新幹線ぐらいか。蓮華温泉からのバスは夏山シーズンは平岩を経由し糸魚川まで行く。野天風呂から戻って朝一番の8時のバス。一時間半ほどの所要時間だ。新幹線が来て糸魚川駅はずいぶん立派になっている。むかし急行きたぐにで来て、大糸線に乗り換えていた頃の面影はない。北陸新幹線は金沢まで平常運転していても、その先はない。もともと、てっちゃんとしては、半世紀ぶりに黒部峡谷鉄道に乗るつもりで、宇奈月温泉でもう1泊の予定だったので、今日のところは関係ないし、さすがにお盆最終日になったら運転再開するだろう。特急列車運転見合わせの余波は駅レンタカーにもあった。盆休みで出払っているのが当たり前なのに、キャンセルが出ていてすんなり借りることができた。これから半日、途中で断念した親不知へ捲土重来。

4日前に歩いた国道8号の景色を車窓から眺めながら、1時間足らずでトンネルの先の駐車場に着く。この一帯が親不知の核心部なのだ。駐車場の先はコミュニティロードということで、旧国道が遊歩道になっている。これを西に進み、これまた昔の北陸線のトンネルを抜けて戻る回遊コースという趣向。歩き始めの休憩所のヘンな壁を見たら、親不知のジオラマになっていた。旅人が汀を抜けていた頃の難所にはそれぞれ名前が付いている。なぜか隣に上高地でお馴染みのウエストン像がある。イギリス人宣教師は、こんなところまで足を伸ばしていたんだ。この人が「親不知が日本アルプスの起点である」と言ったらしいが、ここから白馬岳に続く栂海新道(サワガニ新道とむかし言った)の開拓はそれを受けたものだったのかな。

少し雨は残っていて、傘をさしながらのウォーキング、旧鉄道トンネルは低い位置にあり、階段を下りる。その樹脂製の階段が濡れていて、つるっと滑ってしまった。あっと思ったときには5・6段の階段落ち、とっさに頭を上げたのはいいが、そのぶん膝をしたたかに打って、踊り場まで落下。うーん、雨中の蓮華温泉下りは事故なく済んだのに、こんなところで。不覚。
 あちこち打撲で痛いことには違いないが、普通に歩けるから骨に異状はなさそう。気を取り直して慎重に階段を下る。悪条件の山行を無事終えたことで、気が緩んでいたんだろう。山屋としては年期が入っている部類なのに、こんなことじゃまだまだだなあ。

トンネルは600mほどある。レンガトンネルと称しているようで、最近増えてきた鉄道遺構を歩くというパターンだ。いちおう側壁に照明はあるが、ここで山装備のヘッドランプが活躍する。旧線も旧線、当然のことながら単線のサイズ、足許に目を凝らすと枕木こそないものの、線路敷設の痕跡も残っている。トンネルの開口部まで来て、中を覗いて引き返す観光客はちらほらだが、通り抜ける人は見当たらない。てっちゃん就中廃線マニアだったら、それこそ醍醐味なんだけどなあ。

駐車場に近い東側のトンネル口、沢に架かっていたはずの鉄橋はなく、向こう側のトンネルも廃墟のよう。コアな廃線マニアだったら渡渉してさらに探検するところだが、それはやり過ぎ。ここから海へ続く歩道(また階段!)を下る。正真正銘、ここが北アルプスの果つるところ、海抜0mなのだ。駐車場の対面に栂海新道登山口があったけど、あれを登る人たちはここまで下りて、日本海にタッチしてから行くんだろうか。下ってきたなら、きっとそうするだろう。朝日岳直下の分岐から登山口まで、栂海新道の両端に足跡を残し、私は完全中抜きだぞ。ここの海岸は荒波のせいなのか、石がみんな丸い。ひょっとして翡翠がないだろうかと、しばし石拾いするものの、世の中、そんな甘いものではないのは、つい先刻経験済のこと。

糸魚川方面に少し戻ったところに親不知記念広場があり、レンタカーを駐める。観光パンフレットでお馴染みの親不知の眺望はここからのものだ。広場の隅に愛の母子像なるものがあり、台座に「かくり岩に 寄せてくだくる 沖つ浪の ほのかに白き ほしあかりかも」という歌が記されている。糸魚川出身の相馬御風、どこかで聞いた名前だ。説明を読んで合点がいった。直前に読んだ本に出ていたのだ。1冊13,000円もする4巻分冊の岩波書店からでた細川周平著「近代日本の音楽百年 黒船から終戦まで」(もちろん図書館のお世話になる)その第2巻「デモクラシィの音色」にあった。
 この本の冒頭の一章が「カチューシャの唄」にあてられている。その作詞者が相馬御風ということだった。大正3年3月26日、帝国劇場における芸術座公演「復活」で、主演女優の松井須磨子が歌った挿入歌が「カチューシャの唄」で、それは歌謡史を塗り替えた革新性で時代を画す一作となったと特筆している。ただ、相馬御風に関しての事情は不明点が多い。作詞者は島村抱月との共作になっているので、どれだけの役割を果たしていたのかは定かではない。それよりも、当時、抱月のところの住み込み書生であった作曲を志す無名の中山晋平を起用し、稀代のヒット曲(いまも女性のファッションアイテムに名を留める)が生まれ、その後の音楽史の刷新に至ったったことが重大だ。

カチューシャかわいや わかれのつらさ
 せめて淡雪 とけぬ間と(※「に」と歌われることも)
 神に願いを(ララ)かけましょうか

たったこれだけの短い歌、「ララ革命」とも言われる囃子詞の系譜に連なる二文字を挿入したのは、作詞者ではなく、曲作りに呻吟していた晋平に閃いたアイディアのよう。この曲が分水嶺となったのは、お座敷、街頭、無名無数の歌い手、歌詞冊子といった時代から、特定の歌手、舞台、録音、楽譜というふうに、市井の音楽環境が一変したという意義にもある。第1巻「洋楽の衝撃」に書かれている音楽風景、つまり軍楽隊、ジンタ、チンドン屋、唱歌、少女歌劇、寮歌、演歌の時代から、レコード産業勃興への流れの屈曲点がここにある。ということで第3巻「レコード歌謡の誕生」、第4巻「ジャズの時代」に読み継いでいる。とにかく大著だけど、巻を措く能わずというほど面白い。

お昼を食べに立ち寄ったロードサイドの店でズボンの裾をめくってみて仰天。モンベルの登山用のパンツなので丈夫なんだ。どこも破れちゃいないのに、右膝に裂傷があり、傷口が開いている。こういうのを見ると、あかんたれの真骨頂、血の気が引く思いだ。とりあえずザックの中から薬箱を取りだし、クルマの中で後れ馳せながら応急処置。化膿防止のためドルマイシン軟膏を塗り、本来は靴擦れ対策用の大判ケアリーヴ絆創膏を貼る。ちゃんとした治療は宿に着いてからでいい。よく見るとズボンにも少し血が滲んでいる。たまたま隣に大型ドラッグストアがある。貼り替え用にケアリーヴ超大判を購入。保険はきっと通院や入院とかでないと下りないだろうなあと思いつつ、しっかりレシートだけは大事に保管。絆創膏だって防水タイプのものにして、まだ温泉に浸かる気でいるから、我ながら懲りないヤツだ。

親不知に続いて観覧無料のスポット、フォッサマグナパークに向かう。まるでブラタモリだ。言わずと知れた、東日本と西日本を区切る断層(糸魚川静岡構造線)、三重県月出の中央構造線の露頭とよく似た感じだ。大糸線のトンネルの上の遊歩道を上っていく。撮り鉄のスポットになりそうだが、今日はいくら待っても列車は来ない。「車石」と呼ばれる枕状溶岩のところまで歩く途中、日本の西と東の違いを解説する埋め込みパネルがいくつかある。地質学上だけでなく言葉や食習慣などもここで東西に分かれるというけど、断層は糸魚川市域を分断しているわけだから、ここの人たちは雑煮は丸餅味噌仕立てなのか角餅醤油味なのか。つまらないことが気になる。

糸魚川から新幹線で一駅、あっという間に宇奈月黒部、親不知のトンネルを抜けたら左の車窓に立山が見えるはずだが、そんなものは期待できない空模様だ。富山地鉄に乗り換えて宇奈月温泉へ。部屋の浴室で流水を15分、初めはしみるがそこは我慢。薬を塗り直して防水タイプに貼り替えてはみたものの、さすがに、生傷のまま温泉に入るのはまずそうだ。これも自業自得。

 

【 day 7 … 8/15 】

ようやく雨のない日が訪れた。早い時間を選択した朝食のあと、とにかく大浴場へ。この時間帯ならばと予測したとおり、誰も入浴していない。やった、やった、大きなお風呂で体を伸ばす。いくら防水とはいえ、血が滲んだ絆創膏を貼った客が湯船に浸かっていたら、他の客にすれば迷惑というものだから。

北陸線の特急も午後から間引きではあるものの動くらしい。ここに来たのは黒部峡谷鉄道に乗るためだったが、もう休暇の最終日だし、次の機会にして帰宅を優先しよう。3年後には終点の欅平から先、黒部ダムまでの地下軌道が開放される。だいぶ前の紅白歌合戦で、中島みゆきが「地上の星」を歌う映像が流れた、あのトンネルだ。富山県、宇奈月温泉にしてみれば、待望の新ルートということになる。ずいぶんと時間がかかったものだ。
 そうなれば、信濃大町の凋落は決定的だろう。地上と地下のバスを乗り継いでダムサイトに達するよりも、峡谷のトロッコと地下軌道を乗り継いで行くほうが観光的には断然面白いし、拠点となる宇奈月温泉(黒薙温泉から引き湯)と 大町温泉(葛温泉から引き湯)では、味覚の面でもサービスの面でも勝負にならない。新幹線でアクセスできるようになって、すでに東京からの所要時間も逆転している。さあ、長野県はどうするだろうか。

新幹線は強い。交通大混乱のさなか、宿泊をキャンセルせずに、関西から東京経由で新幹線を乗り継ぎ、宇奈月温泉にやって来た人がいたらしい。大した根性、そこまでするか。まだ金沢発大阪行きのサンダーバードは運休で、私の帰路は米原行きしらさぎとなる。本来は名古屋行きの特急だけど、北陸へのアクセスは米原乗換に一本化しているのだろう。金沢駅前でのランチのあと、乗り込んだ特急の車内は、お盆休みの最後とは思えないガラガラ状態だった。

一週間のご無沙汰、夕食前には帰宅。カミサンに土産を渡すと、足の絆創膏に目が行く。「いやあ、ちょっと転んで擦りむいて…」とか。山登りのあと、観光地で階段落ちして負傷なんて、そいつは格好が悪すぎるもの。

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