ユーリ・バシュメット/関西フィルの弾き振り ~ バレンボイムか?ドミンゴか?
2008/1/31

この演奏会、チラシは手許に残していたものの、「ペア招待券が当たったから、一緒にどう?」という美味しい話が友人から来なかったら、間違いなく行かなかっただろうコンサートでした。

直前に新聞にご招待の告知が出たせいか、シンフォニーホールの窓口には引替えの列が出来ていた。「きっと、売れなかったんだろうなあ。関西フィルの最安3000円の設定はちと高いし…」というところ。

会場の中に入ると、あれれ、開演近くになると満席に、一階後方には立見もちらほら。「あっ、これは、招待券の出し過ぎ。歩留まりを読み違ったんだなあ。気の毒に、遅く来た人は席がなくなったか」と。でも、オーバーブックでも飛行機じゃないので、立見で何とかなる。

ハイドン:交響曲第44番ホ短調「悲しみ」
 ホフマイスター:ヴィオラ協奏曲ニ長調
 チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
   指揮&ヴィオラ独奏:ユーリ・バシュメット
   管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団

ユーリ・バシュメット、1994年、ロンドンでジョン・タヴナー「ミルラを捧げる人」という、この人のために書かれた作品の初演を聴いたことがある。マイケル・ティルソン・トーマス指揮のロンドン交響楽団、バービカンセンターだった。香港からの夜行便で朝に着いて、その夜、私も若かった。でも、演奏内容は今となっては忘却の彼方。バシュメット、ちょうど私と年齢的にも同じくらい、トレードマークの鬼太郎ヘアは変わらないけど、老眼鏡をかけての登場だ。

とても優しいハイドンだった。ホ短調、弦の響きが大変に柔和だ。先週、このオーケストラは新国立劇場(中劇場)のピットに入り「ナクソスのアリアドネ」を演奏しているが、「とても柔らかく優しい音」と、東京で聴いたおともだちの報告だった。確かに、今回の定期演奏会のキャッチコピーが「ビロードの響き…」というのも、なかなか的確。私自身は東京での演奏は聴いていないが、何となく判る。でも、きっと、そのときよりも柔らかい響きじゃないかなあ。あまりに優しすぎたのか、前列の人は途中から大鼾、その音に驚いてこちらの眠気が吹き飛んでしまうほど。

やはり、この日のプログラムの白眉はヴィオラ協奏曲だろう。自分の無知なところがバレてしまうが、先のタヴナーじゃないけど、バシュメットのための新作かと思っていた。何だ、モーツァルトと同時代の作曲家なんだ。

ソロが活き活きとしているから、オーケストラも伸び伸びと演奏する。弾き振りと言っても、弓を振って指揮する部分なんてごく一部、聴いた感じとしてはコンチェルト・グロッソ風。ハイドンに比べると断然生彩がある。

ここで帰っても良かったのだが、せっかくの招待券なので、最後まで鑑賞。チャイコフスキーは可もなく不可もなく、やっぱり聴かなくても良かったかなという感じだ。

ハイドンもこの曲も指揮棒なし、ときに弦楽器の表情づけをするぐらいで、拍子を刻むだけの手の動き、見かけ素人っぽい指揮ぶりだ。リハーサルで入念に指示しておけば、それでもいいのだが、オーケストラの馬なりという印象が否めない。バシュメットと旧知の間柄というコンサートマスターのギオルギ・バブアゼ氏が、一生懸命リードして行くが、オーケストラの隅々まで浸透するに至らない。大阪フィルに比べるとずいぶんパワー不足、もっと振幅の大きな曲想だと思うのに、テンポも、ダイナミクスも、やや一本調子で物足りない。ハッとするような指揮者の個性が発揮されたとも言えない。なんだか、とても上手な学生オーケストラの演奏を聴いているような印象だった。

終演後は大喝采、満員の聴衆の反応は大変に良かったので、自分の耳がどうかしているのかなという気もするが、感銘を受けなかったのは事実なので嘘を言っても仕方がない。招待券の人が多数なので、終楽章コーダの前に拍手が出てしまうだろうと予想したが、それは幸いにもハズレ。もっとも、それは、演奏のタメの無さが一因かも知れない。

ヴィオラ奏者出身の指揮者と言えば、国内では大山平一郎氏の名が浮かぶし、海外に目を転ずれば、カルロ・マリア・ジュリーニという大指揮者がいた。でも、彼らはオーケストラのヴィオラパートで弾いていたので、ユーリ・バシュメットのようなスタープレイヤーではなかったはず。

ソリストとして名を成した人が指揮も手がけることは稀ではないにせよ、最近ではあまり成功例がないように思う。ダニエル・バレンボイムは、稀有な例外だろうか。指揮者プラシド・ドミンゴも珍しくなくなったが、彼が舞台に立たなくなった後で、ピットの演奏を期待して来る人がどれだけいるんだろう。現代の指揮者は完全に専門職だ。片手間や二足の草鞋で凌げる世界ではないだろう。

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