びわ湖ホール「ばらの騎士」 ~ フィガロのいない「フィガロ」
2008/2/3

今日はオペラ、イタリアの靴を履いて伊達男気取り、なんて言えば、今どきのちょいワルおやじだが、どっこい、こっちは登山靴。奈良が積雪なので、京都・大津はさぞやと思い…
 でも、比良や比叡は雪景色だけど、道路の雪はほとんど消えている。まあ、いいか、しばらく山登りもしていないので、足慣らしに大津駅から20分の道のり。しかしまあ、寒いこと。

元帥夫人:佐々木典子
 オックス男爵:佐藤泰弘
 オクタヴィアン:林 美智子
 ゾフィー:澤畑恵美
 ファーニナル:加賀清孝
 マリアンネ:渡辺美佐子
 ヴァルツァッキ:高橋 淳
 アンニーナ:与田朝子
 警部:黒木 純
 テノール歌手:上原正敏
 指揮:沼尻竜典
 管弦楽:大阪センチュリー交響楽団
 合唱指揮:冨平恭平
 合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団
 児童合唱:大津児童合唱団
 演出:アンドレアス・ホモキ
 装置:フランク・フィリップ・シュレスマン
 衣裳:ギデオン・ダーヴェイ
 照明:フランク・エヴィン

このオペラ、第一幕で全てが語り尽くされている感がある。ここでオペラの主題は完結していて、後はドタバタの笑劇が続くだけ。もし、一幕だけを切り取って上演しても、音楽的な充実度もあり、それなりの納得感が得られるのではないかな。「ワルキューレ」第一幕みたいなものか。

そう思うのも、第一幕の幕切れ近く、元帥夫人の長いモノローグとオクタヴィアンとの二重唱が大変に素晴らしかったから。佐々木典子さんは何度も元帥夫人を歌っているようだが、私は初めて。こんなに立派な歌を聴けるとは。時の流れへの諦念、一方でそれに流されまいとする矜持が交錯する心情を余すところなく伝える歌だった。

林美智子さんのオクタヴィアンがいい。歌唱だけではなく、この人は本当に舞台映えがする。このまま、ヨーロッパの舞台に立っても全く違和感がないと思う。一人ずつのカーテンコールでは一番最後に登場、演出のホモキ氏も肩を抱いて「よくやった」という風情。ここは、てっきり佐々木さんだと思っていたんだが。
 オクタヴィアンがタイトルロールであっても、音楽的には元帥夫人が中心なのに。まあ、林さん、それだけの熱演、これだと、コーミュッシュオパーにお呼びがかかるかも知れないなあ。

たぶん彼女の歌を聴くのは三度目、「ヘンゼルとグレーテル」、「ルル」での出演以来か。進境著しい、まさにこれから旬の歌い手か。
 印象に残った場面にはいつも林さんがいた。第一幕の元帥夫人との絡み、第二幕のばらの騎士の登場とゾフィーとの出会い、時間が止まる、まさに一目惚れということを視覚的に感知させる見事な演出だし演技だった。ムジークテアターだとか何とか、よくまあこんな細かい芝居をやるもんだ。歌い手にとっては大変な負担、おそらく1m程度の方眼レベルで位置の指示もあるんだろう。歌が疎かになる危険性は充分。なのに、演じきり歌いきったのは大したもの。

びわ湖ホールの幅、そして高さの半分も使わず、中央に箱があるだけの舞台。と言うか、キューブの一面だけが客席に向かって開かれており、奥に、黒い壁の中に、全体がめり込んだという格好。前売チケットを買うとき、「今回の演出は、バルコニーではよく見えないのですが、よろしいでしょうか」とわさわざ訊かれただけのことはある。「いいですよ、空いていたら適当に移動しますから」とは流石に言わなかったけど。でも、開演前から空っぽの舞台を見せているのは、「こんな状態ですから、見えにくい人は、いまの間に移動してね」というメッセージだったのかな。

美しい舞台ですが、ちょっと小さすぎる感がある。びわ湖ホールだから、まだしもサマになるが、来月公演予定の、容れ物として大きな神奈川県民ホールではどうなんだろう。

その舞台、第二幕の途中で地震災害のように傾き、第三幕に至っては天地逆転、これは階級闘争の顛末を示すつもりなのか。何となくそんな演出の意図かと推測しするが、ここらは違和感を感じるところ。意味づけは判るにしても、音楽はそうなっていない。

シュトラウスはモーツァルトオペラを書くと言って「ばらの騎士」を作曲したらしいが、これはフィガロのいない「フィガロ」かと思う。没落する貴族 vs 勃興する市民、そんな対立の図式が「フィガロ」にはあり、モーツァルトではボーマルシェの毒は薄められたとは言え、反体制の旗手としてのフィガロのイメージは残っている。しかし、「ばらの騎士」ではフィガロに相当する人物は存在しない。

ファーニナル、ゾフィー親娘にしても、貴族に擦り寄るブルジョア階級でしかないし。そもそも、シュトラウスにしてもホフマンスタールにしても、元帥夫人に象徴されるノブレスに価値を置いているのが音楽を聴くだけでも明白だ。だから、演出で表現しようとすることとの隙間を感じる。

粗野で好色なオックス男爵と、凛としたした元帥夫人は対置されているようでいて、フィガロに言わせれば「貴族の旦那様、奥方様、あんたがたがやっていることは結局同じじゃないか」というところ。ところがシュトラウスもホフマンスタールも、そんな考えは一切ない。「不倫は文化である」という名台詞を吐いた俳優がいたが、さしずめそんなところだろう。まあ、そうでなければ劇場なんて、オペラなんて成り立たない。

こういう演出を観ると、音楽以外のことに気が行ってしまって、いいのやら悪いのやら。演出家としてはそれが狙い、観客を挑発するのが望みだろうが…

で、歌の面では最後の三重唱も出色。その間のオックス男爵が中心に進む部分は、狭いところに人物が目まぐるしく動き回ってが音楽が犠牲になったところがある。オックス男爵の佐藤泰弘さん、ゾフィーの澤畑恵美さんには、決して悪い出来ではなかったけど、ちょっと気の毒だったかも。

聴く前は不安だった沼尻/大阪センチュリーが、予想外の健闘。こんな言い方をすると失礼だけど、名古屋でひどい演奏を聴いてから、私自身はこの人の評価をガクンと下げていたから。

オーケストラの正規団員では絶対に足りないので、客演メンバーをかなり入れていたはず。ピットを覗き込んでいないので詳細不明だが、かなりの腕利きが入っていたのではないかと。厚みには欠けるところがあるが、思いの外の精妙さがあり、コンパクトな舞台とよくマッチしていたと思う。このオーケストラにしても、「ばらの騎士」全曲を演奏するのは初めてだろう。沼尻さんにしても首席客演指揮者としての初めての本格的な仕事、これなら次が期待できる。

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