ウクライナ国立歌劇場来日公演「マノン・レスコー」 ~ プッチーニイヤーの最後
2008/11/1

劇場入口でもらうドサッと重いチラシの束、その中でも異彩を放つのが、白紙にワープロ打ちの武蔵野のチラシと、けばけばしい光藍社のチラシだろう。大量のチラシもセットする順番があるようで、トップにはその公演に来た客が行きそうなジャンルで金満スポンサーがついているメジャー公演の最新情報と相場が決まっている。件の二つは束の後ろのほうに追いやられているが、存在感はなかなかのものがある。今どきのセンスとはとても言えない光藍社のチラシは、昔の映画館の看板絵の趣き。

東京往復の行きがけの駄賃ではないが、久しく観ていない演目が名古屋でかかる。これは途中下車しかあるまい。ウィーン国立歌劇場の1986年の来日公演で、フレーニのタイトルロール、故シノーポリの指揮で聴いて以来、とんとご無沙汰の「マノン・レスコー」、もう20年以上前になる。プッチーニ生誕150年なのに、どこもかしこも「トゥーランドット」。そこに、ようやく、「マノン・レスコー」、干天の慈雨になるかな…

マノン・レスコー:テチヤナ・アニシモヴァ
 レスコー:ヘンナージィ・ヴァシェンコ
 デ・グリュー:ドミトロ・ポポウ
 ジェロンテ:セルヒィ・マヘラ
 エドモンド:セルヒィ・パシューク
  指揮:ミハイロ・キリシェウ
  ウクライナ国立歌劇場管弦楽団
  ウクライナ国立歌劇場合唱団

チラシにもホームページにも歌手の名前は一切ない。会場で当日配布されるキャスト表でようやく判明、と言っても知った名前はひとつもない。これはもう劇団四季スタイル、ロシア、東欧の劇場というのはこれが普通なんだろうか。ただ、舞台に登場した主役のカップルは写真の人物なので、アニシモヴァとポポウということか。

前夜との落差がどのくらいか、いささか気になりながら愛知県芸術劇場に向かう。客席の入りはせいぜい7割ぐらいか。ところが、予想外に楽しめた。名古屋での寄り道は正解。

まず、題名役のアニシモヴァがいい。この役にぴったり合っている。各幕でのマノンの性格づけ、要求される声質をきっちりクリアしているのは見事。歌のフォルムもしっかりしているし、この人に限っては前夜のようなメジャーハウスに出ても全く遜色ないと思う。なので、彼女が登場する第一幕後半からは聴かせる。

デ・グリューを歌うポポウ、第一幕冒頭のアリア、"Tra voi belle, brune e bionde…"(栗色、金髪の美人のなかで)、えっ、何でこの歌をバリトンが、と思ってしまった。テノールの声質じゃない。でも、幕が進むにつれだんだんテノールになってくるのは不思議な人だ。ひょっとして、バリトンから転向したばかりなのかな。この人、髪型・顔立ちはどことなくデカプリオ風、でも恋人は生き延びてアメリカに辿り着いたはいいが、ニューオーリンズで果てるのだから映画とはちと違う。

ロシアのオペラハウスが上演するイタリアもの、ヴェルディだって100年以上前に彼の地で自作を初演しているのだから、極東の人間が本場ものとかどうとか、こだわるのはおかしなこと。事実、プッチーニとしての違和感はほとんどない。オーケストラは弦楽器の響きがとても貧弱で気の毒なほどだったけど、慣れてくると気にならないし、後半では結構頑張っている。指揮者のテンポの緩め方が雑で、音楽が止まってしまいそうなところが何回かあったのはご愛敬か。

どこにも演出家の名前がないが、簡素な装置ながら、それなりに豪華さや場面の雰囲気を感じさせるものだった。コーラスに至るまで衣装が立派なことが幸いしているとも言える。

このオペラ、次作の「ボエーム」同様、第一幕で主人公が初めて出会い、20分で恋に落ちるというシナリオ。しかもその幕は二人だけの場面じゃなくて、前半はその他大勢がわいわいという状態だから、これを音楽的に納得感のある運びをするのは至難の業、「ボエーム」ほどの技に至っていない「マノン・レスコー」ではなおさら。ましてや、こちらでは、駆け落ちにまで進むのだから、ずいぶん無理がある。案の定、この幕はアニシモヴァ以外の歌手が本調子ではないこともあって、ドラマが感じられない状態だった。第二幕以降は、物語の運びも普通のペースになるので、歌い手もじっくりと腰を据えてという感じになり、ずっと好ましい印象に変わる。

どんな人が歌うのか、どの程度の演奏なのか、行ってみないと、聴いてみないと、全く判らない光藍社オペラ、まるで博打のようなところもあるが、これもロシア風ということかしら。

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