大植英次/シュトゥッツマン/大阪フィルの京都特別演奏会 ~ 初め良ければ…
2008/11/13

2年前に定期演奏会で取り上げた「英雄の生涯」がメインの京都特別演奏会、それだけなら、わざわざ出向くこともないのですが、ナタリー・シュトゥッツマンの歌う「亡き子をしのぶ歌」がプログラムに入っているので、遠い京都北山まで。

シュトゥッツマンの歌唱はともかくとして、指揮者、オーケストラには不満が残る演奏会だった。

武満徹:弦楽のためのレクイエム
 マーラー:亡き子をしのぶ歌
 R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

シュトラウス、いまひとつ。2年前と比べると、ずいぶん遅いと感じる思わせ振りなテンポ、長すぎるゲネラルパウゼ、大植さん、この若さで老境の巨匠モードになったのかと思うほど。ずいぶん指揮台での動きも少なくて、それは充分にオーケストラを掌握できている証かも知れないが、このテンポはオーケストラの限界を超えている印象だった。これで完璧な演奏ができるほどの実力は、進化した大阪フィルといえども、残念ながら、ない。

「英雄の生涯」の提示部がその典型、ゆっくりしたテンポのせいで、各パートがしっかり鳴って色々な音が、フレーズが聞こえるのだが、てんこ盛りで整理がつかず混濁感が強い。収拾がつかない感じがある。各パートが適切なダイナミクスとフレージングで絡むというよりも、ぽーんと放り出されたみたいで、自律的に収斂する様はない。

後続の楽章になると、部分部分で中心となるパートが決まっているから、混乱は薄らいだとは言え、最初の印象が尾を引いてしまい気分が集中できない。前に聴いたときのほうが、すっと耳に入って、ずっと好ましい印象だった。

終曲が済んだあと、ずいぶん長く手を下ろさないので、長い時間、拍手が出ない。演奏の感銘度が低かっただけに、余韻が消えるのを待つよりも、さっさと拍手して席を立ちたいと思っていた私には、とってつけたようなポーズにしか見えなかった。

この日のプログラムの成功作は武満だけかと思う。定評のある弦セクションの織りなす綾はことのほか美しく、表題とは裏腹の明るささえ感じるほど。各部分の対比もくっきりとして、見事な出来映え。

マーラーでの不満はオーケストラと声楽のミスマッチ。悲しみを歌うシュトゥッツマンの深い声と、ときに脳天気に響くオーケストラが分離状態、声楽に寄り添う感じがない。ことに第1曲でそれが顕著に聞こえた。シュトラウス同様、いかに最初が肝心かということか。出だしの躓きは最後まで尾を引く。

11月の定期は友だちに譲り、京都のほうを選択した甲斐はあまりなかったなあ。定期は二日間とも早々に完売、ゲネプロまで有料で公開するとは驚き、しかもその料金が私の持っていたチケットの二倍というのは、貧すれば鈍するとは言い過ぎにしても、なんかヘン。大植人気も京都には通じず、北山のコンサートホールはせいぜい八分の入りだった。

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