井上道義/兵庫PAC管のショスタコーヴィチ ~ 炸裂! ミッチー節
2011/5/21

ここの音楽監督は地球の裏側でベルリン・フィルへのデビューを果たしている頃だ。あちらでは武満とショスタコーヴィチのプログラムだったはず。そして奇しくも留守宅でもショスタコーヴィチ一色のプログラムだ。ただ曲目はいささかマニアック、意外に演奏されない二曲、それぞれ30分あまりだから定期演奏会のプログラムとしてはいささか短い。と思ったらアンコールが用意されていて帳尻が合う。別のシンフォニーの楽章を演奏するというのも異例に近い。しかし、不思議に辻褄があう。そりゃそうだ、最初に演奏したコンチェルトとは兄弟のようなもの。なかなかよく考えた構成だ。プログラムも演奏もとても面白かった。

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調
 ショスタコーヴィチ:交響曲第1番ヘ短調
 ショスタコーヴィチ:交響曲第10番より第2楽章
  ヴァイオリン:ボリス・ベルキン
  指揮:井上道義
  管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団

井上さんのショスタコーヴィチは大阪フィルの定期演奏会で第4交響曲を聴いたのが最初だ。まだ朝比奈時代だったらずいぶん前のことになる。数年前に東京で全曲演奏会をやったときには聴けなかった。よほど思い入れが強いのだろう。この日の演奏も指揮者の熱がオーケストラに直ちに伝播する反応の良さ。こういう点は若いオーケストラならではだ。指揮台でステップを踏んだりパンチを繰り出したりとタコ踊りの様相だが、ショスタコーヴィチだと違和感がないのが可笑しい。

定期演奏会に行ってもここのオーケストラのメンバーは奏者がその都度違う。いいときも悪いときもあるので、聴いてみないと判らない。で、この日は当たりである。このヴァイオリン協奏曲はトランペットもトロンボーンもないという編成なので木管セクションが目立つ。この日に並んだメンバーの水準は高い。なかでもクラリネットが秀逸、この奏者の息は深い。全く出る音の質が違う。と、感心してしまったが、別に浮いてもいないのでこれは収穫。ソロヴァイオリンのボリス・ベルキン氏も井上さんに煽られたわけではなくて、熱の入りようが尋常ではない。いきなりソリストのモノローグだから、没入しやすいコンチェルトではあるのだろう。聴く側も然りである。

交響曲第1番はこんなに重量感があったかなあと思うほど、とてもパワフルな演奏だ。若きショスタコーヴィチの才気と熱気をまざまざと感じる演奏だった。こんなに編成が大きかったのかと視覚的にも驚いた。この曲にはマーラーを引用したのではないかと思うフレーズも随所にあり、まさにマーラーの延長線上にありながら独自の個性を持つ天才の手になるシンフォニー、はっきりそう感じるのもライブならではだ。

「これが19歳の作品です。とんでもない才能で、早くもショスタコーヴィチ。それで、もっと激しいショスタコーヴィチらしいのをアンコールに」というようなことを指揮台でコメントした後、何をやるのかと思えば、第10交響曲のアレグロ楽章だ。第1交響曲を挟んで作曲者の音のサイン入りの二曲が演奏されたことになる。書かれた時期と初演時期が逆転しているいわく付きの二曲でもある。まあ、そんなことはともかく、ショスタコーヴィチを堪能した土曜日。そして、海の向こうでも佐渡さんは無事デビューを飾ったようだ。

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