メトロポリタンオペラ来日公演「ボエーム」 ~ 23年ぶりの再会
2011/6/4

何と言えばいいのか、来てくれただけで良しとするのか。何人かの歌手の来日中止はともかくとして、公演直前に発表されたキャスト変更はあまりに酷いという声もあちこちから。その意見には同感しつつも、別の見方もできると思う。

バルバラ・フリットリのエリザベッタを聴きたくて名古屋に行くつもりだった人間にとっては、彼女がミミにスライドして、ライブビューイングのキャストで穴だったあのホームベースのような顔の人と代わるなんてという気持ちは強い。私はアンナ・ネトレプコを聴きたかった訳でもないので、フリットリへの交代は悪くなくとも、彼女のミミはトリノ歌劇場来日公演で聴いているし… 

ただ、日本公演全体を考えたMET側の配慮と言えば、そうとも言える。NYでだったら個別演目での代役になるだろうが、ツアーとしての日本公演だし、経営側の視点に立てば、当然3演目トータルとしての発想に傾くのは判る。まあ、いろいろ思うところはあるが、とにかく名古屋の公演を観てからのことだ。

ミミ:バルバラ・フリットリ
 ムゼッタ:スザンナ・フィリップス
 ロドルフォ:ピョートル・ベチャワ
 マルチェッロ:マリウシュ・クヴィエチェン
 ショナール:エドワード・パークス
 コッリーネ:ジョン・レリエ
 ベノワ/アルチンドロ:ポール・プリシュカ
 指揮:ファビオ・ルイージ
 管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団
 合唱:メトロポリタン歌劇場合唱団
 演出:フランコ・ゼッフィレッリ

いったい何年前のプロダクションになるのだろう。現地NYでの上演回数の多さも半端じゃないし、思いっきりお金をかけたはずだが、もうしっかり元は取れているはず。私が1988年に観たのは凄いキャストだったので、他の誰の名前が並んでも驚くことはない。どうせ名古屋に行くんだから「ドン・カルロ」のついでにと考えたこともあるし、やはりこの美しいプロダクションは何度観てもいいものだ。そして、結論から言えば、充分すぎるほど満足できた。

フリットリのミミはトリノのときが初役だった。そのときも悪くなかったし、さすがの歌唱と思ったものだ。そして今回、急なことにも拘わらずしっかりと進化している。この人の歌唱が素晴らしいのはフレーズ、フレーズの表情付けとかのレベルではなく、アリア全体、オペラ全体を見通しての表現というか、発声、フレージングができるということ。どの部分をとってもそう、こういう歌手はほんとうに稀有なのだ。そして彼女が舞台に出た途端に周りが触発されるということ。オーラというありきたりな表現では言い表せないものがある。

もともとこの「ボエーム」がそういうオペラなのだが、第一幕のボヘミアンたちの集団劇の後にミミが登場したときから音楽が一変する。それは書かれたとおりのことだけど、ロドルフォのピョートル・ベチャワの歌がまるで変わったのに吃驚してしまう。それまでのどこか雑味のある歌が、格段に丁寧になるし、声の出方も全然違ってくる。ジョセフ・カレーヤはキャンセルとなったが、名古屋公演のロドルフォはもともとこのベチャワが予定されていた人、いいテノールだ。癖のない美声で高音の不安はないし、やや姉さんではあるがフリットリとのバランスもいい。

キャスト変更で言えば、ジェームズ・レヴァインに代わってファビオ・ルイージというのは、フェイバーと言っても差し支えない。この人は歌心がある。けっこう遅めのテンポで進むのだが、不思議に音楽が緩まない。歌手が伸ばしてしまいそうになっても無理に制止するのではなく適当なタイミングで帳尻を合わせてしまう呼吸の良さがある。オーケストラが声の邪魔をするところはなく、抑えるところはしっかり抑える。かと思えばオーケストラがドラマを進めるところではリードに怠りない。終幕のミミの死の場面には久しぶりに感動した。極限までオーケストラを抑えるので舞台上との緊張感がピリピリと伝わる。フリットリの演技・歌唱の素晴らしさも相俟って、これはプレシャスな瞬間の連続だった。ルイージはとても小さい音を大事にする。と、これは23年前のクライバーのMETデビューのときに感じたこと同じだ。フリットリとルイージ、初日の立役者はこの二人だ。

私がMETに入り浸っていた頃はバリバリのタイトルロールだったポール・プリシュカが、ベノワやアルチンドロを歌うようになったことに時の流れを感じる。一方で、今回の出演者は総じて若い。この公演、看板スターが歌うミミを中心に、若い主人公たちが繰り広げるドラマというスタイルになるのだから、ネトレプコが抜けた穴をフリットリで埋めなければいけないというのは理解できる。それは十分にお釣りが来る勘定だ。この日の出来映えが証明している。

むかし生でも観ているし、比較的新しいライブ・ビューイングでも観ているプロダクションだけど、幕が進むにつれてどんどん舞台に没入していく。ボヘミアンたちの屋根裏部屋は周りにもっと屋根が連なっていた記憶があるので、セットは少し小振りになったような気がする。カルチェラタンの場面ももっと大勢の人が舞台にのっていた気がする。とは言え、ゼッフィレッリはゼッフィレッリ、全曲の音楽的頂点とも言える第三幕のセット、遠近を見事に使ったセットは何度観ても綺麗だ。くそオーソドックスの素晴らしさ。対極にあるホモキ演出にも舌を巻いたが、両極が楽しめるし、それぞれに説得力があるのもオペラの面白さか。

割を食った「ドン・カルロ」のことはさておき、「ボエーム」は来日公演の初日に相応しいパフォーマンスとなった。ピーター・ゲルプ総裁が開演前に挨拶に立ち、震災見舞いと来日に漕ぎ着けた経緯、キャスト変更のお詫びを述べたが、特段のブーイングはなかった。努力したことは窺えるし、これもトモダチ作戦の一環のようなものかも。お詫びの印かどうか定かでないが、通常なら2000円程度で販売される公演プログラムが、ホール入口で無料配布されていた。

満足げな顔をしていたのだろうか、オペラがはねて天井桟敷からロビーに降りたら、中京テレビのクルーが近づいてきてインタビューを受けた。いくつかの質問になんだかんだと適当なことをマイクに向かってしゃべったが、果たして放映されたのだろうか。主催者のひとつだし、ニュース枠での放送だろうし、摘み食いで編集するだろう。辛口のコメントなんて端からボツだ。そこは心得たもので、そんな大人げないことをしても仕方ないし、公演自体が佳かったのだからメデタシ。

中京テレビの番組を観なかったのは、すぐにドラゴンズ井端選手Tシャツに着替え地下鉄でナゴヤドームに向かったから。到着したときには既に4回、帆足投手のタイムリーヒットが出て0-1、そのうちに逆転と期待するも、わずか2安打(しかも1本は投手)の西武ライオンズに完封負けの危機。辛うじて9回裏に同点に追いついたものの、そのまま時間切れ引き分けかと帰り支度を始めた瞬間、伏兵平田選手のサヨナラホームランだ。佳い公演、佳い勝利、今回の名古屋は大当たり(何と、平田選手は翌日の試合でも、9回二死からサヨナラホームラン!)。

ニコニコ顔のドラゴンズファンで一杯のナゴヤドーム前矢田のホームに並んでいると数人の外国人グループ、ラフな格好の女性が肩にかけたデイパックに"Met"のタグが付いている。おやおや、バックステージのスタッフかな。オフタイムに日本でナイター観戦とは。イタリアの来日歌劇場ではこうはなるまい。さすがアメリカン、"Take me out to the ball game"

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system