ボローニャ歌劇場来日公演「カルメン」 ~ ほとんど総替えのあと
2011/9/10

本を一冊、iPodにPC、大きなキャンピングチェアを持参、未明に車を飛ばし早朝5時前からびわ湖わ湖ホール前に並んだのは昨年のこと、何としてもフローレスが歌う「清教徒」を聴かなければということだった。徹夜組の次、5番目の好位置、せっかくだからと、ついでに買った「カルメン」、最安席だった。オンリー・イエスタディ、しかし、世の中は大きく変わった。

残暑が戻った大津のびわ湖ホール、METに続き恒例になってしまったような美麗プログラムの無料配布だ。「清教徒」もあるので4冊もらっても仕方ないんだけど、行かなかった友だちにあげるとするか。予定の配役の差し替えが間に合うはずもなく、ふつうは紙切れ一枚で済むはずの配役変更のお知らせが別冊子になっているなんて前代未聞かも知れない。

カルメン:ニーノ・スルグラーゼ
 ドン・ホセ:マルセロ・アルバレス
 ミカエラ:ヴァレンティーナ・コッラデッティ
 エスカミーリョ:カイル・ケテルセン
 指揮:ミケーレ・マリオッティ
 管弦楽・合唱:ボローニャ歌劇場管弦楽団・合唱団
 演出:アンドレイ・ジャルガス

ボローニャ歌劇場来日公演の初日は、尻上がりに結構な盛り上がりとなった。「カルメン」、予想以上の出来である。カーテンコールでは今までに聞いたことのないような周期の長い1拍子の拍手に収斂するということが起きた。来日を敢行した出演者、スタッフに対する賞賛もあるだろうし、何より直前のスルクラーゼとアルバレスの絡みの凄さもあったからだろう。平気で来日したソプラノとお助けテノールへの大拍手とも言える。両人ともベストを尽くした感じだし、それが客席にも敏感に伝わった。平土間と4階はほぼ満席、2階は空席が少し、3階はガラガラ状態、ホール全体としては7割程度の入りと見たが、それを感じさせない客席の反応だった。

ヨナス・カウフマンがマルセロ・アルバレスに代わるという発表は私には良い知らせだった。METのことがあるので、来るとは思ってもいなかったし、ドン・ホセならアルバレスのほうがずっといいだろうと。カウフマンが今度はどんな理由をつけて来ないんだろうと思ったら、胸部のリンパ節の切除の手術だって。リンパ節郭清ということなら仮病というにはちょっと重い内容、普通に考えたら食道癌だが、それなら歌手生命どころか命に関わる話、直前まで歌っていて日本公演だけキャンセルすれば済むようなことではないはずで、もう少しそれらしい言い訳を考えたらよかったのに。

それだけに、なおさらアルバレスの熱唱への反応が凄い。第2幕の「花の歌」は絶唱だったし、終幕の狂気を感じさせる歌も特筆もの。これに演技が伴うと言うことないのだが、それを言うのは酷か。歌唱で補ってくれているのだから良しとすべきだろう。

終幕のカルメンの衣装の何ともセクシーなこと。それまでの幕が原色満艦飾のスタイルだったのが、ここでは純白の闘牛士を思わせるようなボディコンシャスなスーツ、ホセがナイフではなくガラス瓶を割ってカルメンの首に斬りつけるという演出、白と赤のコントラストが凄絶だ。アグネス・バルツァ以来、カルメンは動き回って歌うことが普通になってしまい歌手も大変かと思うが、スルクラーゼは女優からスタートした人というだけあって、ヴィジュアル面も演技の面も申し分ない。もちろん歌も充分に満足出来る水準だ。

対照的なのはミカエラを歌った、これまた代役のヴァレンティーナ・コッラデッティ、第1幕に自転車を押しながら看護婦スタイルで登場したのがなんだか可笑しくて。彼女が乗ったら壊れてしまいそうな充実ぶりだったから。でも、この人、とても若い人のようだが、歌はしっかりしているし声もパワフルだ。これがミカエラと思うほどの声の強靱さ、それでいて粗いということもない。これは楽しみな人材かと思う。休憩時間にバーコーナーの裏手の喫煙ゾーンにいたら、階下の楽屋あたりから歌声が聞こえてくる。たぶん彼女だと思うのだが、第3幕のアリアをさらっているのかと思いきや、「世の空しさを知る神…」、エリザベッタのアリアじゃないか。近々歌う予定でもあるのか、確かに彼女なら演れそうな気もする。ヴィジュアル的にはしんどいところもあるが、それを撥ねのけるだけのポテンシャルを感じる人だ。

場所を近年のキューバに設定した演出というのは知らされていたが、必然性・納得性はない。カルメンの既視感を打破するという意気込みは買えるにしても、秀逸なアイディアとも言い難い。思いつきレベルと言われても仕方なかろう。舞台を移した結果、エスカミーリョをどうするかで思いあぐね、ボクサーにするアイディアが浮かんだなんて書いていること自体、語るに落ちたという感じがする。終幕の台本からするとボクサーはどだい無理がある。この幕は闘牛場ではなく陸上競技場のようなスポーツ施設の外側でという設定になっている。一方で、第2幕のパスティアの酒場の場面は成功している。読み替えに伴って主役たちやコーラスの動きに無理があるところが目につくが、ここでは群衆の動きも自然で生気にあふれている。それを除けば、他はちょっとね、というところ。

終幕、エスカミーリョはリングパンツにガウンを羽織って登場するので、それらしい体型のバリトンを当てないとお笑いになってしまう。カイル・ケテルセンという人、ここは適切な人選か。声楽的に重要な役でもないので、体型優先という嫌いもある。アルバレスやコッラデッティのような感じだと、ボクシングじゃなく相撲になってしまう。

この劇場の首席指揮者というミケーレ・マリオッティはずいぶん若い。見下ろすピットで頭部が透けていないのだから。かなり細かいテンポの指示を出しているようで、オーケストラは短いフレーズの中でも微妙な変化がある。すべてが成功している訳でもないし、第1幕などは少し間延び気味と感じたが、物語が進むにつれて調子に乗ってくる。コーラスは動きが多いなかよくやっている。ひょっとして、いまのスカラ座の水準よりは上かも知れない。

キャンセル禍となったボローニャ歌劇場来日公演、今回もそうだが、一般にこういう免責文言が予め出されている。

代役による上演となった場合でも、出演者変更にともなうチケットの払い戻しや、公演日の変更は承れません。公演中止の場合を除き、いかなる場合もチケットの払い戻し、変更は致しかねますので、あらかじめご了承ください。

今回の招聘元フジテレビの場合、ご丁寧にこんなことまで(「貧乏人お断り」的な高飛車な言い方が気にくわない)。

ご了承になれない方は、当日券をご利用ください。ただし、前売りで売り切れとなった場合は、当日券の発売はございません。

私は出演者交代も見越して最安席でリスクヘッジしたとも言えるが、5万円以上出してチケットを買った人に通用する理屈なんだろうか。それに、カウフマンのキャンセルと、フローレスのキャンセルでは、どだい次元が違う。100年に一人とか、傘下メディアを動員して看板歌手の名前を連呼、鉦や太鼓で一年近く前から売っていて、直前キャンセルで払い戻しはありませんでは、いっそこの演目は中止したほうがマシと感じる人も多いだろう。直前キャンセルはあり得ること、払い戻しがないのも普通、それはその通りにしても、ヨーロッパではこんなチケット価格じゃないし、こんなに早くから発売することもない。それを同列に強弁するのは無理がある。新幹線だって一定の遅延があった場合には、特急料金を払い戻すのにと言いたくもなろう。東京公演会場は件の新館長の東京文化会館である。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system