新国立劇場「愛の妙薬」 ~ 場違いか、いや、そうでもない
2011/10/26

平日の午後2時、尼崎のアルカイックホール、高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演に闖入である。いちど行ってみたいと思っていたが、ようやく実現だ。休日の仕事の振り替えで午後をオフにしたのは、2シーズン前の新演出がこんな形で関西お目見え、これは逃せないと思ったから。決して女子高生目当ての怪しいオヤジではない。

新国立劇場のプロダクションを何らアレンジすることなく、そのまま上演する。高校生だからといって開演前にレクチャーなどは一切なく、普通の公演と変わらない。初台の本公演にもないような立派なプログラムが配布されるだけ。そのプログラムにしても水谷彰良氏のしっかりした解説が掲載されているから、この企画には子どもに阿るようなところは皆無だ。

それは正しいアプローチだと思う。東京では滅多に見かけないが、ミナミあたりだと休日の早い時間なら割烹料亭に普通に子どもを連れて行く。小さいときから美味しいものを食べさせなければ本当に味が判るようにはならない。それが文化を支えていくものだと思う。外食チェーンで食べさせてばかりでは食文化は衰退する。音楽にしても同じこと。

ドニゼッティ:歌劇「愛の妙薬」
 アディーナ:臼木あい
 ネモリーノ:小原啓楼
 ベルコーレ:成田博之
 ドゥルカマーラ:鹿野由之
 ジャンネッタ:九嶋香奈枝
 合唱:新国立劇場合唱団
 管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
 指揮:石坂宏
 演出:チェーザレ・リエヴィ
 美術:ルイジ・ペーレゴ
 衣裳:マリーナ・ルクサルド
 照明:立田雄士

残席が一般売りされるということを確認し、阪神デパ地下の立ち食いフードコートで357円の塩ラーメン大盛りを掻き込んで、須磨浦公園行きの特急で尼崎へ。開演1時間前から販売なのに窓口には誰もいない。もともと半クローズのようなものだし、こういう形で新国立劇場が大阪地区で公演を行うことを知っている人は限られるのだろう。

もちろん、会場前は高校生でいっぱいである。私にしても引率の教師とも見えなくもないが、オジサンとしてはやや居心地が悪い。さて、中に入ったら席は高校生に囲まれてということかと思ったら、そこはよく考えている。一階席の後方3列ほどが一般客用に確保されているようだ。前は高校生ばかりだが、横や後ろは普通の大人である。教師との区別が付かないので何とも言えないが、私の印象では一般入場は50人ぐらいのものか、まだそれぐらいの席の余裕がある。

これは一級の公演である。コストパフォーマンスの点でも申し分ない。主役の人たちのなかでは臼木あいさんは初台のプレミエのときのアンダー、九嶋香奈枝は本公演でも歌っている。ほかの男声陣も含めキャストに穴がない。何より高校生相手だからと手抜きしたようなところは微塵も見えないのが立派だ。うるさいオペラファンも来ているかも知れないがごく少数、それにそんな客を目掛けて歌っているわけではないだろうし。

アディーナの臼木あいさんが出色である。何より、声に疵がないのが貴重だ。耳に心地よい綺麗な声。舞台の奥だとやや声量が物足りない感じはあるが、舞台姿もキュートで演技も自然だ。とても魅力的なアディーナだ。出番の少ないジャンネッタの九嶋香奈枝も立派、本公演で起用されただけのことはある。

ネモリーノの小原啓楼さんは微妙なところだ。第二幕になってからはよく声も出ていたし、Una frutiva lagrimaの聴かせどころは情感あふれる歌だった。だが第一幕では声が引っ込み気味のところも多く、少し安定感に欠ける。冒頭のQuanto è bella, quanto è cara! は不発気味のところがある。このオペラ、ここで第一声で魅了してほしいところだ。ベルコーレの成田博之さん、ドゥルカマーラの鹿野由之さんも、歌がしっかりしていて、ふざけすぎず、真面目すぎず、ほどよいブッフォの味を出していて好感が持てる。

そして、何と言ってもコーラスがいい。新国立劇場のコーラスの水準はずいぶん上がった。加えて棒立ちの演技ではなくなり、オペラハウスのコーラスとしての存在感が出てきている。これは関西でのオペラ上演では期待できないことだ。

大阪フィルがピットに入るのはずいぶん珍しいことだ。大植監督の就任後何年かは定期演奏会でもオペラを取り上げていたのだが、バイロイトの挫折(?)以来、とうとう沙汰やみになってしまった。一階席に座ったのでピットの中は覗けなかったので、いつものメンバーなのかどうかは確認できなかったが、弦のパートはかなり小振りではなかったか。大阪フィルにしてはずいぶん痩せた音がするなあと思った。指揮の石坂宏さんとは初めてと思われ、第一幕などは何だか指揮ぶりと出てくる音がよそよそしい感じを受けた。オーケストラを抑え気味に声を殺さぬように配慮するあたり、さらにアンサンブルの制御、ストレッタの加速など、劇場の指揮者の片鱗を感じさせるところがある人だ。

色彩あふれるポップな舞台、道具立ての面白さなど、視覚的にも楽しめる演出だ。これならオペラが初めての高校生でも退屈しないかも知れない。事実、開演前には場内アナウンスも聞き取れないほど喧しく、前奏曲が始まってもザワザワしていた客席が、幕が開いてからは静かになった。うーん、なるほど、これが前奏曲の本来の姿かと妙に感心してしまう。第二幕のネモリーノのロマンツァからアディーナのアリアに至るあたりでは、歌唱もよかったこともあるが、場内水を打ったようにという表現が適切なほど。感受性の豊かなハイティーン、異性への憧れが強い年ごろだし、きっとこの場面には感じるところがあるのだろう。

終演後、尼崎駅に向かう空中庭園を歩いていると、会場から出てきた男の子たちの会話が耳に入る。
「おまえら、途中で集中切れたやろ。並んでおんなじ格好で寝てたやろ、おもろかったで」
「おれもあかんかと思たけど、後のほうはなんやらせつなくなったわ」とか。
そんなことを言いながら、ガハハと笑ってふざけあっている。まあ、何とも自然な反応、そういうことでいいのだろう。2000人の会場、オペラ好きになる人はせいぜい1%として20人だ。でも、オペラがどんなものか体験したのだから、オペラ好きの友だちに誘われたら出かけてもいいと思う人が20人生まれたらこの企画が成功したと言えるのではないだろうか。気の長い話だが、一朝一夕では裾野は広がらない。

この公演、もう少し一般客を入れたほうがいいかも知れない。関西で新国立劇場のプロダクションを観ることができる得難い機会だし、公演の水準も高い。それに、ある程度の数のオペラファンがいないと、拍手ひとつにしても雰囲気が盛り上がらない。高校生に悪気はないのだが、拍手はしても続けることができない。朝礼で表彰状を貰うならパチパチパチでいいのだが、続けないとカーテンコールの出のタイミングも難しくなる。周りに迷惑がかからないよう静かに聴くこととかを学校で指導されたのだろうか。しかし、劇場の作法まで教えられる先生は多くないだろう。今回の公演は水曜日と金曜日、一日おいて日曜日に一般公演を設定すれば人は集まると思う。そうはできない事情も何となく推測できるが、ここは関係者の度量が大きくあってほしいものだ。

こんな機会、もったいないから行ってみたらとカミサンに奨めたら、さっそく金曜日にいそいそと。ホールまでの地図を書いたり、この電車に乗れば開演一時間前に窓口に着くとか、いろいろと世話が焼ける。結果、とてもよかったとのことで何より。こうして夫婦二人で別々に鑑賞とあいなった。そして、カミサンは素敵な出合もあったそうな。

首尾よく当日券をゲットして客席に着くと、隣に上品な老夫婦が座っておられ、その旦那様が話しかけたそうにされていたらしい。「高校生は賑やかですね」とかカミサンがきっかけを作ったところ、ご夫婦は遠く沼津から来られていることが判明。
「息子はオーケストラの首席奏者なんですが、オペラは滅多にないからと呼んでくれて…」とかおっしゃるので、「Nさんでいらっしゃいますか」とカミサン。よくその固有名詞が出たものだと思うが、たまたま先日の大阪クラシックで演奏を聴いていたという偶然。それをきっかけに、よほど喜ばれたのか、今度は奥様が堰を切ったように、息子のことは言うに及ばず、果ては孫が先日書道で表彰されたなんてことまでお話しいただいたとのこと。大阪フィルのNさん、親孝行な人なんだと感心することしきり。そんなこともあって、楽しい観劇となったようだ。

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