びわ湖ホール「ワルキューレ」 〜 オペラ以外も盛り沢山
2018/3/3・4

何とも不思議な公演、どう評価していいのか悩むところだ。「ニーベルンクの指輪」の上演が特別なものでも何でもなくなった時代に、いまこのプロダクションの価値があるとすればどこなんだろう。正直、特筆すべきことはなさそうだ。

ジークムント:アンドリュー・リチャーズ(3/3、以下同)/望月哲也(3/4)
 フンディング:斉木健詞/山下浩司
 ヴォータン:ユルゲン・リン/青山貴
 ジークリンデ:森谷真理/田崎尚美
 ブリュンヒルデ:ステファニー・ミュター/池田香織
 フリッカ:小山由美/中島郁子
 ゲルヒルデ:小林厚子/基村昌代
 オルトリンデ:増田のり子/小川里美
 ワルトラウテ:増田弥生/澤村翔子
 シュヴェルトライテ:高橋華子/小林昌代
 ヘルムヴィーゲ:佐藤路子/岩川亮子
 ジークルーネ:小林紗季子/小野和歌子
 グリムゲルデ:八木寿子/森季子
 ロスワイセ:福原寿美枝/平舘直子
 管弦楽:京都市交響楽団
 指揮:沼尻竜典
 演出:ミヒャエル・ハンペ
 美術・衣裳:ヘニング・フォン・ギールケ
 照明:齋藤茂男
 音響:小野隆浩

京阪神だけでなく遠来の観客も多いと思う。いつも行くレストランに予約の電話を入れたら、土曜の夜は既に満席だという。そうなのか、公演は連日の完売ということだし、先ずはご同慶の至り。昨年の「ラインの黄金」のとき、主催者はずいぶん集客を気にしていたようだが、人気の「ワルキューレ」だったら何の心配もないだろう。
 今回も連日にわたって聴いた。間違いなく初日のほうがいい。二日目で目立ったのはヴォータンの青山さんぐらいで、残りのキャスト、人の動き、オーケストラの出来、悉く二日目は低調だった。

びわ湖ホールでは「ワルキューレ」を2013年にも上演している。あれは単発、今回は四部作のひとつとしての上演と違いはあるが、私の印象では前の公演のほうがはるかに面白かった。このオペラにして驚くほど頻繁な舞台転換で呆気にとられたローウェルス演出はずいぶん刺激的だったが、今回のハンペ演出だと舞台を見なくても何ら支障がない。実際、4階バルコニーのパーシャルビューで、横の人が前に乗り出すので余計に見にくいが、全く気にならない。そんなに一生懸命見なくてもいいのにと思うほど。カーテンコールで演出家に盛大にブーイングを投げつけていた人がいたが、その気持ちはよく判る。先祖返りしたようなトラディショナルな舞台、CGで終幕に馬が飛ぶことのどこが嬉しいのか。前作の虹を渡ってのヴァルハラ入場にも失笑してしまったが、映画を知っている現代人にこの程度のものを見せて悦に入る神経が私には理解できない。会場に演出家の二つの著作が並べられていた。どちらも読んだ本だが、音楽や台本の大切さを説く論旨には共感するところ大なのに、その実践がこれなのかといささか失望する。前回のプロダクションの再演のほうが余程いい(もう装置は残っていないだろうが)。

ワーグナーに限らずいまどきのオペラ公演は演出から話が始まるが、さて音楽、こちらもオーケストラから始まる。初日のほうがいいのは国内の公演では珍しい部類だろう。長時間のピットで疲れが出たのかも。京都市交響楽団の質の高さには賛辞を惜しまないが、沼尻さんの指揮はどうなんだろう。平板な印象が否定できない。テンポの揺れはあまりないし、音量に不足しないもののメリハリに欠ける。ひとことで言えば盛り上がらない。ワーグナーは舞台の人物ではなくオーケストラにドラマを語らせるところが多いのに、それを充分に再現できたのかどうか。
 例えば、第2幕でブリュンヒルデがシークムントに死の宣告をする対話のなかで、ジークリンデと別れなければならないなら断固拒絶するというシーン、それに感動したブリュンヒルデがヴォータンの命に背いてジークムントに勝利させると心変わりする場面、さらに第3幕で生きる望みを失ったジークリンデがブリュンヒルデからジークフリートを宿していることを知らされて、一転して生への意欲が噴出するシーンなど、重要な転機であるにもかかわらず、オーケストラは至って冷静というか巡航速度でのドライブだ。舞台で何が語られているかなんて意識していないのだろうか。指揮者であれば台本とスコアを読み込んで、もっと相応しい表現のしようもあると思うのだけど。

最後に歌手のことになる。初日の外国人キャスト、ジークムントのアンドリュー・リチャーズはどちらかと言えばリリックな声で、ブリュンヒルデを歌った若いステファニー・ミュターの声とは対照的だ。どちらも好ましい印象を受けた。彼女のほうは、このあとに続く二作にも呼ばれることになるのかも。新進でこれから伸び盛りという感じ、びわ湖のブリュンヒルデがスプリングボードになるのであれば、素晴らしいことだ。国内の劇場で育つ海外の歌い手が増えてくるといい。

ヴォータンのユルゲン・リンは第3幕はガス欠気味の歌唱のように聞こえた。二日目の青山さんのほうに分がある。もうこの人もヴォータン役を何度も歌っているので、国内では他の名前が浮かばないほどになった。剛毅な表現に加えて滋味溢れる歌が身につけばなお良しというところ。
 二日目のジークムント、望月哲也さんは、私の印象では前回の歌唱から退歩している。声を張るところはそれなりに出ているのに、それ以外のところがさっぱりという状態になっている。fも重要だが、p、ppもそれ以上に大事。同様の役柄を歌う二期会の先輩テノールと同じ轍を踏んでいるように見える。そんなところは見習う必要はない。

二日目のブリュンヒルデ、池田香織さんは売り出し中のソプラノだが、よく歌えていると思う半面、初日のミュターのような伸びしろを感じることはなかった。世間の評価のほうが正しいのかも知れないが、私としては微妙な印象だった。
 ジークリンデの二人は、いいところと、それほどでもないところが混交する印象、三つの幕を通して歌う唯一の人物なので意外に難しい役なのかも知れない。感情の振幅も激しいし、リリックであるようでいてドラマティック、それにスタミナの問題もありそう。
 ワルキューレたちは、初日と二日目との落差が大きい。二日目のアンサンブルは破綻気味だった。広いとは言えないセットの上で動きながらというハンディキャップもあるし、練習量の問題もあるのかも。

二日目の午前、ワークショップに参加した。演出、美術、衣装の当事者の話に新味はなかったが、バックステージが興味深かった。第3幕の岩山が発泡スチロールの張りぼてで踏むとふわふわした感じだし凸凹も傾斜もあって動きにくそうだ。なるほど、この上で歌って演技する歌手は大変だ。ワルキューレたちの動作がぎこちなかったのも判る。 プロジェクションの巨大なスクリーンの後ろは背面や横の舞台がそのままだ。パーティションぐらいはあるのかと思った。スクリーンが反響板がわりとということか。
 見学が終わって14時の開演まで時間がある。前日に行けなかったヴュルツブルクでビールを飲む時間は充分ある。ドイツオペラの前に白ビール、最高の組合せ。食べ終えた頃にはレストランの前の湖岸道路をびわ湖毎日マラソンの選手たちが走り抜ける。先頭集団を牽引するのは黒い人たちだ。この週末は春の陽気、散歩にはいいがランナーにとっては記録的に多くを望めないかも知れない。

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