ラザレフ/京都市交響楽団 〜 爆演ふたたび
2018/11/17

久しぶりにオーケストラの定期演奏会に足を運ぶ。1000円出せば聴けた頃には足繁く通ったが、何倍にも値上げとなっては、回数減もやむなし。そんな客も少なくないかも。楽団の事情はわかるものの、それだと逆効果だろう。自分の場合もコンサートは厳選ということになる。そんななかで、聴き逃せないと思ったのが、これ。ラザレフが客演する京都市交響楽団の定期演奏会だ。

グラズノフ:バレエ音楽「四季」op.67
 ボロディン:交響曲第2番ロ短調
 指揮:アレクサンドル・ラザレフ

開演よりだいぶ前に着いたので、ラザレフのプレトークも聞いた。曰く、「四季」についてはいろんな楽曲があり、もっとも有名なのがヴィヴァルディで、ハイドンにもある。両曲とも春から始まっているが、ロシアの作曲家が書いたものは冬から始まる。チャイコフスキーのピアノ曲、そしてグラズノフのバレエ音楽も。なるほど、言われてみるとそうだなあ。ラザレフが言及しなかったヴェルディ(「シチリアの夕べの祈り」のバレエ音楽)も春から始まる。

初めて聴く曲で、「四季」は続けて演奏されるものだから、どこが季節の変わり目なのかさっぱり判らない。その代わりと言っては何だが、登場人物の入れ替わりはとってもよく判る。これがバレエ音楽であること、もちろん舞台はないがソロだったり、デュオだったり、群舞だったりが目に浮かぶよう。それぞれの切れ目に絶妙のポーズがあり、その呼吸の見事さはロシアの指揮者だなあと感じ入る。バレリーナはいないのに、それぞれの踊りの生気が伝わってくるようだ。メリハリがあるというか、リズムが活き活きとしている。

ボロディンの第2交響曲、冒頭の弦楽器の重々しい主題、全部の音にテヌート記号が付いてるのかと錯覚しそうな重量感だ。大阪フィルで聴いた実演以来だが、とても同じ音楽だとは思えないほど。ラザレフの場合、パート譜に上げ弓、下げ弓に始まりフォルテ記号の増量などの追記があるのを眼にしたことがあるが、どうなんだろう。今回は1階後方席なのでそれは確認できず。

京都市交響楽団の充実ぶりというか、ラザレフの統率が隅々まで行き渡っている。精度は高くても熱いものが前面に出るオーケストラじゃないのだが、それがこの人の棒(いや指揮棒はない)のもと、アグレッシブな演奏ぶりだ。例によって、ここぞの場面で客席の側に顔を向けるパフォーマンスには笑ってしまうが、そんな外連味に騙されてはいけない。音楽自体が骨太で筋が通っているのがこの人ラザレフ。オーケストラの出来映えには本人も大満足のようで、自身が舞台袖から平土間まで下りて舞台上のメンバーへの拍手を促すほど。滅多に眼にすることのない光景だ。ボロディンの後にはソロを務めた奏者だけでなく、何と、弦の最後尾のプルトの奏者に握手を求めていたのが印象的。後ろのほうの奏者が目一杯弾かなければあの厚い音は出ないということだろう。きっとリハーサルではそれを徹底したんだろうと推測する。そして、その成果が出た。わかりやすい。

長いあいだ定期演奏会の完売が続いていた京都市交響楽団なのに、この日のホールには上階の端のほうに空席が目立つ。あまり馴染みのない曲が並んだプログラムのせいなんだろうか。こんなに内容のあるコンサートなのに残念。それよりも、やけに年寄りが多いのに戸惑う。自分もその一人だけど、お客の平均年齢は半端じゃないだろう。大学生が多い京都なのにそれらしい人の数はわずか、若い人だと場違いなところに来てしまったと感じるかも知れないほど。大阪フィルなどは学生優遇で若年ファンの獲得に躍起だが、京都はちょっと違う感じ。まあ、コンサートを聴くなんて激しい運動とは訳が違う。腰が曲がろうが、杖をつこうが、しぶとく会場に運んでもらえばそれでいいということか。若者もすぐに歳をとる。

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