三度目の笠ヶ岳 〜 人がいちばん面白い(?)
2023/7/31-8/5

魔女の一撃、週末からの山登りを控えた水曜日、クルマに積んだお米10kgを持ち上げた瞬間、ああ、やってしまった。歩けなくなるほどの重症ではないが、ぎっくり腰というのはすぐには回復しない。あと3日で何とかなるかどうか、際どいところだ。仕事に出かけ、いつものようにスイミングにも行く。しかし、不安は払拭できない。金曜日まで待って予定変更を決断、最後の温泉だけにするという選択肢もあったが、中間の案を採用。高天原温泉まで行くと、何かあってもすぐには下山できない。最後の日程はそのままに、笠ヶ岳の周遊コースを代替とした。双六岳は外せないし、槍見館の料理と露天風呂は言わずもがな。かくして、おっかなびっくりの2023年の夏山がスタート。

【 day 1 … 8/1 】 病み上がり、発進

変更前も変更後も余裕の日程。一日の行動時間は短く、午後早くには山小屋に到着する。若い頃だと大阪を夜行列車で出発し、未明の藪原駅から上高地行きのバスに乗り、その日のうちに槍ヶ岳山荘、穂高岳山荘に入るなんてことをしていたが、そんな体力はないし、懐具合はともかく、時間は充分にある。

バスの便がよくないので、前夜から松本入り、市内のアイリッシュパブ、ビールで景気づけ。出発を遅らせたおかげで、快癒とまでは行かないが動作は問題なくなった。再発が心配だけど、そうはならいと自分の身体がサインを送っている。医者にも行かなかったし、自分のことは自分が一番わかる。念のため、熱中症対策と腰痛に備えて芍薬甘草湯を購入、ザックの薬箱に放り込む。ホテルに無料レンタサイクルがあったので、早朝の松本城を観光、大きな蓮の花が漆黒の城に映える。

10:40の新穂高ロープウェイ直行のバスに乗るつもりでバスターミナルに着いたら、そのバスは年末年始のみの運行、次のバスまでずいぶん待たないといけない。それなら、上高地行きで中ノ湯で降り、上高地と平湯温泉を30分間隔で結ぶ濃飛バスをつかまえて、平湯温泉で高山から来るバスに乗り継ぐという、二度の乗換のパターンにする。信州側のアルピコ交通は、濃飛バスのことまで丁寧には案内してくれない。今は上高地にしても新穂高にしても、飛騨側からのアクセスのほうがいいぐらいだ。マイカーならなおのこと。安房峠道路により平湯温泉・上高地間は劇的に時間短縮となったが、その両側の中部縦貫自動車道は、私が生きている間にはたぶん無理だろうなあ。ひょっとして、高山側は繫がるかも知れないけど。

蒲田川左俣林道を歩くこと1時間あまり、錫杖岳が煙ってきて夕立の到来、10分ほど傘をさしてわさび平小屋に着いた途端、本格的な降りとなる。テント組はしばし庇の下で雨宿りしている。ここの名物の冷やした野菜・果物、これは下山時においておこう。下山後の着替えに往き帰りの列車で読む本を2冊、小屋に預けておけるのは回遊コースのメリット。

【 day 2 … 8/2 】 遠い稜線 … Youも百名山

長い、苦しいという評判の笠新道、登山口から笠ヶ岳山荘まで1500mぐらいの標高差だから、クリヤ谷コースほどではない。そちらと比べると距離的に短いぶん効率的な登りとも言える。ただ、樹林の中を延々と登るのはしんどいことに違いはない。急登の途中、1800m地点にはツエルトや薬品などが入った緊急時装備まで置かれている。樹林帯を抜けるまで、4ピッチ以上かかるし、日帰りで往復する猛者もいるからなんだろう。登るにつれ、槍穂高連峰が望めるので気晴らしになる。杓子平まで出れば、笠ヶ岳の稜線は近づく。

笠ヶ岳山荘を予約したとき、「8時間かかりますからね。到着が5時を過ぎそうだったら電話を」ということだった。午前中で暑さが酷くないのが救い。樹林帯での休憩で一服つけていると、同年配ぐらいの単独行の男性が登って来た。小型のアイスバイルのようなものを右腰にぶら下げているのは何のためなんだろう。

「いやあ、きついねえ」と、同じ場所で休む。手元のドライフルーツをあげる。「たばこ、やめたほうがいいよ。友だちに言い続けてやめさせたんだよ」と、こちらにすれば大きなお世話だけど、なんだか憎めない雰囲気の人。
 「上の小屋で泊まりかい。こっちは予約していないんだよお」
 「一人なら何とかなると思いますよ。まさか、下りろとは言わないでしょう。たぶんキャンセルが出ているだろうし、早めに着けば」
 「そうだよね、旅は道連れだもんね。だめだったら、友達ってことで言ってよね」と、おじさん、スタスタと先に行く。聞けば、75歳、埼玉から。

軽そうな荷物とは言え、私より年上、そのうち追いつくだろうと登って行くが姿は見えない。すると、どうだ。後方からおじさんが現れる。どうなってるの。
 「ははは、キジ撃ちに森の中に行ったら、帰りに迷っちまって」
 そして、おじさん、また先へ。とうとう笠ヶ岳山荘まで、追いつくことはなかった。小屋の前のテラスに、おじさんの姿、「おーい」と、まるで友だちのように、こちらに呼びかける。
 「泊まれたよ。問題は明日、電話してみたら、三俣山荘はネット予約しか受け付けないなんてことを言うしねえ」
 なんだか、人との距離をどんどん縮めて来る人。もう後期高齢者の部類なのに、内にこもって行かないのが、きっと心身の健康にいいのだろう。

抜戸岳の稜線に至れば、そこから1時間ちょっとのはずが、意外に遠かった。ここまでの長い登りの疲れもある。こんなにアップダウンがあったかなあ、ほぼ平坦路だった印象があるのに。5時過ぎに出て、到着は午後2時を過ぎた。確かに休憩を別にしても8時間かかった。

笠ヶ岳山荘に宿泊するのは二度目、やはり夕立がやって来た。遅い到着の人は濡れ鼠、早立ち早着きは夏山の鉄則。1時間ほどで雨があがると、雲が消えるのを待つ人が外に出はじめる。小屋の中、受付横のテーブルでビールを飲んでいたら、夕方近くになって到着した外国人2人、私があてがわれた蚕棚の隣に、2人分のスペースが残っていたので、もしやと思ったら、Bingo!

そうこうしているうちに、雨もあがった。西の白山は夕焼けの中、テント場の向こうに槍穂高の稜線が姿をあらわす。2019年の夏、黒部五郎岳から縦走し、笠ヶ岳山荘での夕立のあと、蒲田川左俣谷にかかる二重の虹を見たことを思い出す。

部屋に戻って来た彼らに、「こんにちは。どこの国の人?」と尋ねると「南アフリカ」という返事。ペーター君というらしい。日本語OK、先方が解らない言葉は言い換えたり、英語で補足という、いちばん楽なパターン。聞けば、日本には5年ほどいるようで、あのビッグテックで働いているとか。彼女のほうはポーランド出身らしい。こちらも日本語OK。

今回の行程を聞いて、びっくり。常念岳から大天井岳を経て槍ヶ岳、大キレットを越えて奥穂高岳、そして白出沢を下降、そこから中尾温泉ルートで焼岳を往復、笠新道を登り直して笠ヶ岳、さらに黒部五郎岳、薬師岳に登り、折立に下山するのだとか。8月の終わりには立山、剱岳を目指し、それで北アルプスエリアの百名山を完登ということらしい。たぶん30代、体力が有り余っているのが羨ましい。休暇も長い。

「双六小屋から三俣蓮華岳へはルートが3つあるけど、絶対のお奨めは稜線ルート、splendid viewだから」とか言うと、既に経験済みのようす。鷲羽岳や水晶岳にも登っているはずなので、そのときなんだろう。北アルプスが終わったら51座になるとかで、「九州とかにも行ったの?」と問えば、宮之浦岳も既登だとか。「じゃ、あそこも」と指先をぐるぐる回すと、「Yeah」。「それじゃ、そろそろEmperorを越えるんじゃないか」とかなんとか。陛下はもはや気楽な山登りなんて無理、お気の毒なこと。ペーター君とて、北海道はまだ残っているらしいから、日本での勤務の間にクリアできるかどうかは微妙かなあ。

今回、さすがに白出沢の下りは難渋したようで、ゴロゴロの岩でルートが解りにくく、徒渉もあってジャンプしたりで大変だったとは彼女の弁。あの長い足なら我々よりも難なくクリアだろうけど。まあ、この人たちは向こう見ずというか、自己責任という意識があるから、それはそれでいいか。どこかの国の人のように、責任転嫁を言い立てることもないだろう。私が下山後に宿泊予定の槍見館の露天風呂を奨めたら、彼女はバスの中で聞いたアナウンスのことを覚えていたから、とっても頭のいい人のよう。
 「Youは何しに…」じゃないけど、南アフリカにも3000m級の山はあるはずなのに、日本アルプスにはそれだけの魅力があるということなんだろうか。

【 day 3 … 8/3 】 ご同輩、あなたも…

笠ヶ岳山荘の朝、2800mでも夜の室内は暑いぐらいだったのに、外に出ると気温10度、肌寒いぐらい。朝食前に笠ヶ岳に登る人もいるが、私は山荘の前で日の出を待つ。午前5時過ぎ、北鎌尾根の向こうから太陽が顔を出す。みんなそっちのほうに気を取られ、南アルプスの左側に富士山が見えているのも気付いていない。

食事を済ませ、笠ヶ岳山頂に登る。朝は快晴、午後から雷雨という典型的な夏山の天気が続いている。どうしても山頂滞在時間が長くなってしまう。なまじ登ったことのある山が多いと、山座同定をやり出したらきりがない。通行止めになっているクリヤ谷ルートも谷への下降地点までの稜線は問題なさそうに見える。と言っても、4年前、その稜線の登山道で草に隠れた岩に足をぶつけ、麓の無料露天風呂、新穂高の湯に浸かるときには、向こう脛が血だらけになっていたのだけど。

昨日歩いた道を戻る。ちょっと小ぶりの雷鳥が登山道にいる。砂浴びなんだろうか。近づくと這松の中に姿を隠す。笠ヶ岳山荘では雷鳥の目撃情報を収集していたけど、もうこちらは戻らないし。
 笠新道のことを思えばハイキングコースみたいなもの。秩父平への下りはちょっと注意だけど、あとは双六小屋まで雲上の遊歩道といったところ。あと1ピッチ、弓折岳の分岐で休んでいたら、向こうから40代ぐらいの女性二人連れ。
 「鏡平山荘はこっちですよね」
 「違う、違う、こっちは笠ヶ岳、山小屋まで行ったら日が暮れちゃうよ」
 「じゃ、さっき休んだところかな。鏡平山荘って書いてあったのに」
 おいおい、あそこは弓折乗越の分岐、道が分かれていて、下に鏡平山荘が見えているじゃないか。どこに目が付いているのだろう、この人たち。登山者の数が格段に少ない道からメインストリートに出ると、とんでもない人に出会う。

稜線を辿れば、鷲羽岳を背景にした双六小屋が見えて来る。またやって来た双六小屋、小屋泊まりは4度目、テント泊も含めると5度目だろうか。数ある北アルプスの山小屋でも私は好きな山小屋だ。出発延期、日程短縮を余儀なくされた今回の行程でも、ここだけはキャンセルせずにキープし、計画を組み直したわけだ。
 夕食は素麺に天麩羅というこの小屋の定番。わさび平小屋から、同じ行程だった人、寡黙な60歳代の男性が、夕食時に同席だったので話すと、何と、この人も同じことをしていた。同行予定の友人が体調不調となり山行を断念、単独行となって日程を短縮し、目的地を笠ヶ岳に変更したそうだ。行程前半の予約はキャンセル、そして双六小屋の予約だけはそのまま、まるで同じ発想じゃないか。もっとも、この人の場合と違い、私は本人のトラブルでの変更で、その本人が登っている。「ぎっくり腰でよく来られましたねえ」と感心されたが、「自分の身体のことですから、快方に向かうか否かの判断ぐらいはつきますから」と。

今年は残雪がほとんどない。笠ヶ岳のテントサイトは水涸れだったし、お花畑のそばに残っているはずの雪田も消えている。ひと月ほど早い感じ、それだけ暑い夏ということか。この双六小屋では、4年前、大学のクラブのOBパーティーと邂逅したのだが、そのメンバーにはもう鬼籍に入られた方もいる。小屋前のテーブルで生ビールを飲みながら眺める鷲羽岳、集合写真の背景になった山容に少しも変わりはないのだけど。

【 day 4 … 8/4 】 駆ける人 x 2 … てんこ盛りの最終日

最近はどこの山小屋でもそうだが、双六小屋の受付の壁にもご当地Tシャツがぶら下がっている。昔は、手拭い、バンダナ、ペナントといったところが定番だったが、mont・bellやTHE NORTH FACEといったアウトドアブランドとのコラボ製品が並ぶ。各地のmont・bellショップでは、地域限定のご当地Tシャツが販売されていて、デザイン的にも面白くて、大阪、奈良、渋谷の3着が我が家の箪笥に収まっている。そこに4着目、双六岳が加わる。これは、私が一番好きな北アルプスの光景なのだ。双六岳東陵のたおやかなドームの上に屹立する鋭鋒、こんな鮮やかな対比は他にない。この山が百名山はおろか三百名山にも漏れているなんて、選者の感性を疑う。まあ、人の選んだものを有り難く信奉するような精神とは無縁、そんな私にはどうでもいいことだけど。

今朝も快晴、双六岳の山頂にどれだけいたんだろう。後立山を除けば、剱岳、立山から乗鞍岳、御嶽まで、北アルプスの山のほとんどが視野に入る。また、ここに来た。広い稜線の道、カップルが交代で両手を拡げ、飛行機ごっこの動画を撮影している。その気持ち、よくわかる。思わず笑い出したくなるような絶景だもの。

双六小屋をあとに下山の途につく。今回の笠ヶ岳回遊、登山者は笠新道か小池新道を歩くことになり、必然的に同じ人たちとルート上の山小屋で過ごす日が続き、三泊一緒という人が何人も。初日のわさび平小屋で、雨のなか到着した男性2人、女性1人の高齢者グループ、風呂で一緒になったときの話では山慣れした人たちのよう。彼らは熊本から。この人たちとも三連泊ということになり、笠ヶ岳山荘での夕立のあいだ、他の二人連れと盛り上がっていた室内のテーブルにお邪魔。
 熊本は、いま台湾積体電路製造(TSMC)の巨大投資を契機に半導体バブルで、大変な状況になっているとかの話で、熊本の男性のピッチが進んでいた。そして、双六小屋を立つとき、小屋の表で熊本グループの女性と顔を合わせると、「これから西鎌尾根に向かうんですけど、あの人は昨日飲んだくれ、外の石に躓き、足の爪を剥がしてしまったんですよ。それじゃ長く歩くのは厳しいから、下山したほうがいいと言ったんですけど、行くって」
 遠く九州から北アルプスにやって来たんだからということだろうし、下りよりも上りのほうが足の爪にはマシだけど、その先には長い下りが待っている。ガチガチにテーピングして痛みをこらえて小池新道を下りたほうが得策だと私も思うのだが、まあいい歳した大人が自己責任ですることだし。

鏡平山荘への下りの途上、蒲田川左俣の谷沿いに上昇してくるヘリコプターの音、その方向を眺めていると、西鎌尾根の上空でホバリング。岐阜県警のヘリによる遭難者救助と察しが付く
 「ああ、あの人じゃないかな。小屋を出発した時刻から考えると位置的にも符合する。登り始めたはいいが、とうとう足が動かなくなったんじゃないかな。無理しなければよかったのに」と。
 自分のなかではほぼ確信していたのだが、帰宅してニュースを見てみると別人だった。西鎌尾根を下降していた神戸の75歳男性ということで、転んで骨折ということ。じゃあ、あの人は何とかコースを完遂したんだろうか。

意外に、山小屋は危険地帯かも知れない。到着したら、すっと気が緩む。重い登山靴を脱いで小屋のサンダルで歩き回る。行程の疲れが足の筋肉に来る。アルコールも入る。それが熊本の人の事故の直接の原因。室内に入ったら、こちらも危険箇所だらけ、急な階段、蚕棚の梯子、頭元の荷物棚、小屋でこそヘルメットなんて冗談とも言えない。さらに、コロナ禍の3年が過ぎ、今年こそ行くぞと出かけたのはいいが、その間に確実に三つ歳をとっている。体力も低下している。事故の遠因はそんなところにもあるのだろう。

鏡平山荘から1ピッチ下ったシシウドが原、ひと休みしていたらペットボトルを片手に30代ぐらいの女性が登って来た。「ここにブルーのサコッシュを置いていたんですけど、なかったでしょうか」と休憩中の登山者に尋ねてまわる。下り1ピッチ先の秩父沢まで降りて気付き、ザックをデポして駆け上がって来たのだとか。すれ違った下山中の人全員に尋ねたが、誰も拾った人はいなかったもよう。
 「誰かが拾って小屋に届けてくれている可能性が高いから電話してみたらどうでしょう。上の鏡平山荘も下のわさび平小屋も双六小屋グループだから、双六小屋事務所に連絡して手配をかけてもらったら」と。
 ところが、スマホは当のサコッシュの中、しかも機内モードにしていているらしい。財布も、福島から乗ってきたクルマのキーも、免許証も、その中。早い話が貴重品全てを失った状態。居合わせたツアーのガイド風の30歳ぐらいの男性が電話を架けてみたが繫がらない。「それ、docomoですか。こっちのauの電波は入っていますから、私が架けてみましょう」と対応を引き継いだ。

双六小屋事務所に事情を伝えたところ、その時点ではサコッシュの拾得情報は無し。傘下の小屋への手配をお願いし、本人に電話を替わり詳しい説明をしてもらう。彼女のショックは尾を引いている状態。持ち物はペットボトルだけだったので、行動食のオールレーズンをあげると、お腹も空いていたようす。
 「手配したから出てくるとは思うけど、タイムラグがあるだろうし、鏡平山荘に登り返すより、下にザックをデポしているんだったら、わさび平小屋まで下りて、泊まるなりして待つほうがいいでしょう。気ばかり焦って歩いたら事故のもとだし。当座のお金が要るだろうから、貸してあげます。とりあえず、わさび平小屋で。何か情報があるかも知れないから、そこで待っていて」と、下山を促す。
 弓折乗越からの下り、空の背負子で風のように駆け下りて行った双六小屋のスタッフが、鏡平山荘から大きな発泡スチロール箱を担いで登り直してきたのとすれ違っていたので、鏡平山荘を中継地にして生鮮食料品の歩荷をしているのが想像できた。ならば、上の山小屋にサコッシュが届いたら、小屋のスタッフが下ろしてくれるに違いない。それを待つのが上策という判断だった。
 シシウドが原で思いがけない長いブレイクとなる。北アルプスで初めて目にしたオコジョが岩の陰からこちらを覗いていたが、私のスマホは彼女の手に。写真を撮るどころではない。

先にわさび平小屋に下りた彼女はどうしているかなんて考えていたら、派手にすっ転んでしまった。「痛てて」となった視界に、あのおじさんの姿、「おーい、大丈夫か」と。
 笠ヶ岳山荘のあと、三俣山荘の代わりに何とか双六小屋も泊まることができ、この日は早朝から三俣蓮華岳を往復しての下山、なぜか三俣山荘まで行ったのだとか。よくわからないことをする人、それだけ元気ということか。それにしても、このタイミングでの出現、スーパーボランティアのあの人みたいだ。
 「何ともないです」、「そうか、よかった」と、駆けるように下って行く。この神出鬼没おじさん、私は勝手に、尾畠春夫と命名。

ゆっくりと下り、わさび平小屋に到着したら、テーブルにぽつんと座っている彼女の姿。聞けば、まだサコッシュが見つかったという知らせはないとのこと。事情が事情なので、宿泊代は後日振込ということで、今夜はわさび平小屋に泊めてもらうことになったらしい。
 それじゃ、福島に戻るにしてもお金が要るでしょう。30,000円あれば何とか戻れるでしょう」と、もう要らなくなったヤマケイのコースタイム付き地図のプリントアウトの裏に互いの連絡先を書いて交換、こんなに感謝されることは滅多にないこと。
 「あっ、そうそう、事務的になってしまうけど、借用証というか、いちおう金額も書いておいてください」と言うと、「当然です」と、「金参萬円也」、彼女はボールペンを走らせる。そう答え、そう表記できるのは、まともな社会人。
 彼女曰く、「貴重品は分散しておいたほうが良かったですね。それに、友人に電話しようにもスマホがないし、小屋に電話を借りても連絡先はスマホの中だし、最後はやっぱり紙のアナログなんですねえ」

帰宅後、彼女から連絡があり、福島から友人に車で迎えに来てもらい帰宅したところ、鏡平山荘からサコッシュが見つかったと連絡があった由。拾得物を送ってもらうことになったもよう。車の引き取りで 改めての新穂高行きになるのかな。

わさび平小屋から10分ほど下った笠新道登山口に女性が一人、正座するようなスタイルで荷造りをしている。ちと面妖な。すると、向こうから話しかけて来る。

「私も下ります。今日は笠新道を上まで登って下りて来たんです。頂上じゃないです。岩のところまで、わたし的には樹林の道より、岩場の道が好き。杓子平の眺めもよかったし」

「途中までですか、日帰りで」

「山登り、練習中なんです。下にクルマを駐めて、車中泊で往復して。鏡平山荘も行きました。今日は笠新道ですけど、焼岳にも行くつもりで、登山口の下見もしたんです。まだ、山小屋に泊まるのは敷居が高くて。女性一人だとどんな人たちと同室になるのか、とっても不安だし」

「大丈夫ですよ。小屋側も部屋割りには配慮しますし」

「そうですか、岐阜からなんですけど、岐阜には何もなくて、ここも岐阜だけど、大勢山登りに来ているんですねえ。クライミングも練習しようと思って、市民講座に申し込んだんです。ハーネスをつけてよじ登ったら、次にどうしたらいいか判らなくなってしまって、インストラクターのおじさんに助けを求めたら、『自分で考えろ』なんて、もうひどいと思いません」

「モンベルなんかでもやっているから、そっちはどうかな」

「そうですか。とにかく練習が大事ですよね。あの、下山のときって足が痛くないですか。指のところが痛くって。あっ、ここ、涼しい。えっ、これ、風穴って言うんですか。たくさんあったら嬉しいな。こう見えても、私、50なんです。あっ、走りますね」

「……」

何と返していいのか、確かに、美人の部類だけど。呆気にとられているうちに、マシンガントークの彼女の姿はあっという間に遠ざかる。この若い50歳の女性、私は勝手に、松野明美と命名。

【 day 5 … 8/5 】 ここは日本か?

槍見館の露天風呂、早朝から河原に下りてみたら先客あり、ゆあみ姿の女性が二人、50歳ぐらいだろうか。タオルで前を隠して「お邪魔します」と。7時からは女性専用になるのだから、まだこの時間は混浴タイム、見る方向は槍ヶ岳の穂先だし、ノープロブレム。午後からは雲が出るし、この時間がベストタイムなのだ。さすがに岩の上に寝転んでの御開帳は御法度だけど。いろいろあった山の疲れもとれたし、美味しい食事も堪能したし、極楽極楽。

ここは、全国に100あまりの日本秘湯を守る会の宿のひとつ、内容的には高級旅館の部類になる。外国人の宿泊客も珍しくない。ただ、玄関脇がクリヤ谷の登山口という立地もあるけど、汗臭い山回りの客にも嫌な顔ひとつしないのがいい。

帰路は高山へ。バスが1時間に1本あって便利だし、道路もよい。名古屋行きの特急「ひだ」の切符を買い、ロッカーに荷物を放り込んでちょっと観光。駅の待合室にいたら、到着した特急から降りて来るのは欧米系の外国人ばかり、フランクフルト空港のトランジットかと錯覚しそう。そうなのか、今晩には飛騨高山市民花火大会2023というイベントもあるのか。
 古い町並みを歩くと、観光客でいっぱい。その半分は外国人、熱中症になりそうな暑さの中、外にいるのは観光客だけというのは京都と同じだ。だから「小京都」と呼ばれるわけではないだろうけど。

コロナ禍で山登りから遠ざかっていた人たちが、戻ってきた2023の夏山、これで以前に復したかというと、そうでもなさそう。とくに事故の多さは異常だ。富山、長野、岐阜、北アルプスエリアでは、連日のように滑落、転倒、骨折、疲労により救助といったニュースが報じられている。3年のブランクが利いているというのもあるだろう。昨年、私は剱沢小屋でコロナ感染、宇奈月温泉で発症、帰宅後は座敷牢に10日間幽閉(ただし3食アルコール付き)というロングバケーションだった。今回、出発前にぎっくり腰というアクシデントはあったものの、天候にも恵まれて無事帰還。山そのものよりも、山で出会った人たちのインパクトが大きすぎる笠ヶ岳回遊となった。

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