これは快適、北アルプス 〜 パノラマ銀座を歩く
2020/8/2-6

「パノラマ銀座」と地元の安曇野では呼称しているらしい。燕岳から槍ヶ岳のコースを表銀座と言い、烏帽子岳から槍ヶ岳のコースを裏銀座と称するのは昔からだが、その向こうを張って新顔登場ということか。現地でもらった地図を見て初めて知った。燕岳から大天井岳、常念岳を経て蝶ヶ岳に至るコース、確かに西に槍穂高連峰を望みながら辿るコースは素晴らしい眺め、もちろん天気が良ければという但し書き付きではあるが、出発直前に遅い梅雨明けとなった。

結果からいえば絶妙の日程を設定したことになる。コロナウィルス感染症の影響で、北アルプスも例年とは様変わり、山小屋は予約必須となり宿泊人数も制限、夏山シーズンとは思えないほどの空きようで、いいことずくめ。三密必至の小屋泊まりを敬遠して諦めた登山者が多かったのだろう。お馴染みの中高年ツアー登山もほとんど見かけない。ツアーの本数自体が減少したのか、募集はしても最少催行人数に満たなかったのか知る由もないが、近年の様相とはずいぶん違う。

山登りの前に乗りテツ、デビューがコロナ騒ぎと重なってしまった近鉄の新鋭特急ひのとり、これで名古屋まで行く。両端の車両が2-1のプレミアム車両、その一席のほうを予約した。この車両だけ満席でレギュラー車両は閑古鳥が啼いている。追加料金を払って乗るなら、こっちということなんだろう。革張りのシートの座り心地は快適、無料の大型ロッカーも準備されている。先頭車両の最前列なら運転手気分だろう。名阪特急だけでなく、奈良線でも一部運用されているが、山田線には走っていないはず。ということは、しまかぜが従来どおりお召し列車ということか。

【day 1 - 8/3】

燕岳への最短ルート、合戦尾根を登るのは3度目になる。登山口の中房温泉に着いたら、すぐに急な登山道に入るところだが、今回は中房温泉に前泊という余裕の日程、旅館と山小屋の中間みたいな中房温泉ロッジに泊まる。ここにはずいぶんたくさんの露天風呂がある。これじゃ1泊ぐらいじゃ回れない。もともとは湯治の宿なんだろう。隣接する本館の招仙閣にも登山者が泊まっていたが、ロッジの宿泊者はわずか4名という空きようだ。同宿したオバサンたちは燕山荘、常念小屋に泊まり一ノ沢を下る予定ということだった。何年か前に一ノ沢の下りでツアー登山の遭難現場に出くわしたことがあるのだが、そんな話をして脅かすものなんなので、「下りには気をつけて」と言うぐらい。毎週、高尾山に登って足慣らししているらしいから大丈夫だろう。

明けて合戦尾根に取り付く。登山口で近づいてくるオジサン、名刺のようなカードにはQRコード、裏面には地元安曇野市の安全登山プロジェクトとある。 スマホで登山届ということか。長野県には登山届を提出済だが、困るものでもないし必要事項を入力する。県や警察への登山届は何かあった際に関係者が見るものだが、こちらの登山届は下山届と連動している。リアルタイムでGPS位置情報のトレースまではやらないだろうが技術的には可能なこと、登山もそういう時代になったんだ。

合戦尾根の登りは効率がいい。いつも休憩する場所は同じ、スイカマークの合戦小屋への道標が現れると、スイカタイムとなる。前回に比べると一切れ500円ということで、小さくなったが単価は下がった。こっちのほうが、たくさん売れると思う。とは言え、2年前に登ったときの半分も人がいないだろう。山に入っても空いている。それでも北アルプス入門コースとしては最右翼の燕岳のこと、登る人、下る人は途切れることはない。

すると、面白いことに気が付いた。登山者の足許、なんだか新品の靴が多い。半分以上は新調といった雰囲気だ。きっとこれはコロナ給付金ではないだろうか。自粛モードで山登りにも行けないところに転がり込んだ10万円、北アルプスの夏山に向けて購入ということか。燕山荘の手前にあるテント場でも、同じ現象が。新品のテントが過半と見た。山小屋の三密を避けるために今回は幕営山行に踏み切った人も多いのだろう。なんだか可笑しい。アベノマスクならぬ、アベノシューズ、アベノテントといったところか。アベノザックもいるぞ。タナボタの10万円が山屋の背中を押したと推測する。「それ、ひょっとしてコロナですか?」なんて、現地で個別ヒアリングしたわけじゃないが、家に戻ってカミサンに話したところ、アウトドアショップではテントの売上げが5割増とかテレビで言っていたらしい。そうか、フィールドワークと符合している。

燕山荘に早く着いたので、定番の燕岳往復。今回は少し先の北燕岳まで足を運ぶ。その先はちょっと危険箇所もありそうな雰囲気だ。振り返れば燕山荘の向こうに翌日登る大天井岳が大きい。
 2年前、燕山荘に宿泊した直後、某俳優が山小屋内の階段で落ち、ヘリで降ろされたというニュースがあった。山小屋の中や周辺というのは意外に事故が多いところ、疲れもあるし気の緩みもある。蚕棚の梯子なんていちばん危険だ。その蚕棚は客が少なく、中央に真新しいスクリーンはあるものの、1パーティションを占有という夏山では考えられない待遇。これは今シーズンに北アルプスに出かけない手はないぞ。

【day 2 - 8/4】

今回の山行には問題を抱えていた。直前に奥歯が痛み出したのだ。7月中旬に4か月に一度通う定期健診で歯石除去をした際に経過観察でいいとの医師の診断だったのが、明日から出かけるという段になって疼痛が襲った。診てもらったばかりだし、急に酷くはならないだろうし、痛みはロキソニンで凌げるはず。ということで、山の中では1日2錠を呑み続けることに。今は市販薬になっているよく効く薬はありがたい。

前日、合戦小屋から燕岳の間で少し雨が降ったが、天気予報だと下山までは好天が続きそう。小屋から前日と反対方向、大天井岳を目指す。ここが今回の山行の最高地点、標高2922m、この山頂を踏むのは初めて。南に稜線を辿るとどうしても槍の穂先に目が行ってしまうのだが、その前の大天井岳はボリューム感があって立派な山だ。槍ヶ岳に向かう人にとっては途中の面倒な登りということになる。したがって頂上を経由しない巻き道がある。なんだか私の好きな双六岳と似ている。あちらは300名山にも入っていないが、こちらはいちおう200名山だ。2年前には気が付かずに通り過ぎた切通岩のところの喜作レリーフは、今回ちゃんと写真に残した。ここから山頂までは1時間ほど。着いてみれば素晴らしい眺望だ。北方の劒立山、後立山連峰、南の槍穂高連峰、よく見えている。ここで役立ったのが件のマップ、「信州・安曇野 北アルプス パノラマ銀座マップ」、安曇野市山岳観光推進実行委員会と山と渓谷社のコラボ制作のようで、国土地理院の地形図をベースに今回のコースが網羅されている。コースタイムはあっても縮尺の表示がないのがいまいちだけど、四囲に各山頂からのパノラマビューが描かれているので山座同定に役立つ。まあ、そんなものは見なくても大概は判るのだけど。
 大天井岳の登りから東天井岳を経て横通岳まで、2時間ほどの行程は歩いたことのない道、槍穂高を右手に眺めつつ稜線を辿れば常念乗越に至る。常念岳に初めて登ったときは、登山口にレンタカーを駐めて一ノ沢からの道だった。常念乗越に着いたら、槍穂高の姿が目に飛び込んで来て、「わあっ」という感じだったけど、ずっと稜線を南下している今回はそんな驚きはない。一日中、一緒なんだから。

大天井岳から望む北アルプスの全貌 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

【day 3 - 8/5】

常念小屋の開業は大正8年ということなので、100年も前のことになる。もちろん改築はされているから、当時のままということはない。宿泊の受付をしたとき、記念品ということで、常念坊と記された木札をもらった。キーフォルダーにでもしようか。
 山中での3日目、今日も晴天が約束されている。下山日までは大丈夫の模様だ。日焼け防止に気をつけなければ。盲点は耳と唇、顔にクリームを塗っても忘れがちな箇所で、昨年は酷いことになった。朝早くからご来光を見に小屋の外に出る人は多いが、そういう趣味のない私は、小屋からの眺めで充分。太陽と反対側の山並みを眺めるほうがきれいだと思う。ほぼ満月が西の空に残っている。

槍穂高連峰を望む行程の中間なので、ここからだとちょうどバランスがいい。燕岳だと槍ヶ岳に近く、これから行く蝶ヶ岳になると穂高山群が近くなる。常念岳に登ってしまえば、あとは大したアップダウンもない道、初めて辿る雲上散歩コース。蝶ヶ岳という山はどこが頂上なのかよく解らない。最初のピークが蝶槍と称する尖った岩峰、南に向かうときには目立つ突起なのだが、着いてみればせいぜい5mほどのもの。周りがのっぺりしているから引き立つのだろう。その先に蝶ヶ岳三角点、いま蝶ヶ岳山頂と称しているのはヒュッテの先のなだらかなピークのようだ。元祖、本家みたいな感じか。

あと少しで蝶槍というところで、目の前に雷鳥が現れる。登山道の真ん中で土を掘り返しているような仕草、こちらが近づいても逃げる気配もなく、一心不乱に作業中だ。こんな場所でいったい何をしているのだろう。餌を漁っているわけでもない。雷鳥の生態に詳しくないので謎のまま。先に進んで驚かせてもいけないので、しばし様子を窺う。先導するように登山道を上がって行き、やがて這松のなかに消えた。やれやれ、思わぬところでの小休止となる。
 山から戻って友人に尋ねてみると、メスの雷鳥は砂浴びして身体に付いてる虫を払い落すらしいと調べてくれた。そうなのか、北アルプスに行くたび雷鳥には出くわすものの、ああいう姿を見るのは初めてだった。

今回のコロナ騒ぎで山小屋は軒並み営業縮小になっているが、蝶ヶ岳ヒュッテは他と様相が異なり、予約は直前1週間前からということだった。これだとツアー登山お断りと言っているのに等しい。あからさまには言いにくいので、こういうやり方をしたんだろう。車で来て安曇野側の三股から日帰り登山をする人が多いようで、お昼間に賑わっていた山の上も、午後遅くになると人影はまばらとなる。もちろん、宿泊客はとても少ない。小屋の半分は使用せず、日毎に使うエリアを入れ替えているようだ。いろんな感染予防対策がある。小屋内でのマスク着用は求められはしたが、各山小屋の予約の際に持参と聞いていたシュラフカバー、アルコール消毒液、飲み物用カップ、体温計など、持っていったものの結局は使うことなく、山小屋側のポーズみたいなものかも知れない。もっとも食事時に従業員が防護服みたいなものを着ていた山小屋もあり、それもなんだか可笑しかった。

【day 4 - 8/6】

蝶ヶ岳ヒュッテの朝食は6時と遅めだ。どちらに向かうにしても長い行程ではないし、早立ちで2日分を歩くつもりの人なら弁当を頼んでいるだろう。したがって、朝食の前に夜明けとなる。小屋の外に出て徐々に陽が差してくる槍穂高連峰を眺める時間が充分にある。安曇野側には少し雲があったから、日の出とともに薔薇色に染まる山肌というには発色がいまいちだけど、それは仕方ない。大展望であることには変わりはない。

景色を堪能したら朝ご飯、今回の山行中の山小屋の食事がいまいちだったのは、歯痛の影響もあったのかも知れない。ロキソニンが切れると噛んだときに奥歯に痛みが走る。日を追うごとに沈静化してきたので、蝶ヶ岳ヒュッテのご飯がいちばん美味しかったわけだ。夕食も朝食もワンプレート、御飯が山の形に盛り上げられていて、周りにおかずがきれいにレイアウトされている。これまでは連日のハンバーグで飽きていたこともあるし、午後に屋外のテーブルでビールとおつまみというパターンだったから、食事時のお腹の空きかたも足りなかったのかも知れない。鎮痛剤を呑むタイミングと食前のお酒は控えめに、これも学習効果。とはいえ、余裕のある日程、午後早く山小屋に着いてゆっくり過ごす魅力は捨てがたい。

蝶ヶ岳ヒュッテから望む夜明けの槍穂高連峰(ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)
蝶ヶ岳山頂から望む槍穂高連峰(ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

山小屋から一投足の蝶ヶ岳山頂は立ち去るのが惜しい。尾根歩きの間ずっと右手に槍穂高連峰を望んでいたけど、長塀尾根の下山路に入れば樹林の中になる。ここからの眺めは圧巻と言うしかない。蝶ヶ岳も双六岳と同様、300名山にすら入っていないのだ。どうも山屋が選ぶ名山となると、そこからの眺望の評価が低めの傾向がある。まあ他人のレーティングなどどうでもいい。自分がいいものはいいのだ。
 近くにいた70歳台の夫婦連れが「すごい眺めですねえ。下るのが惜しいですわ」と。同じコースを下山のよう。千葉から車で来て、沢渡の駐車場に駐めているとのこと。「ゆっくり降りますから、お先にどうぞ」とかおっしゃるが、この日のうちに千葉まで運転するのは、ちょっと心配なところ。言うか言うまいか迷ったが、旦那さんのほうに「あのう、前が開いていますけど」

長そうに見えた下りも大したことはない。上部の二重稜線の間にできた池が何か所かあり、長塀山のピークを過ぎればどんどん標高を下げる。この道には高山植物ならぬキノコの種類が多い。しかも、やけに大きい。徳沢園についたらソフトクリームというつもりだったから、まるでコーンに見えてしまう。

徳沢園はもう半ば都会。ソフトクリームを注文する前に、沢の水に浸したタオルで体を拭く。この瞬間がいちばん夏山を感じるとき。この場所でテント泊したことが何度かある。ほんとうに気持ちのいいキャンプ場だ。あとは上高地まで2時間。蒲田川沿いに新穂高まで下る道は暑くて大変だけど、こちらの梓川沿いの道はずっと木陰というのがいい。散歩気分で歩けばそのうちに着く。すれ違う人は多様だ。まさに上高地からの散歩・森林浴の人もいれば、中高年登山ツアーも。テント泊の大きな荷物や、ヘルメットをぶら下げたザックなども。彼らの目に私がどんなふうに映っているのだろう。歩いていると、どうしても対岸の前穂高に目が行くが、上流の彼方に大天井岳も見える。登ってきたばかりだし、そっちのほうが気になる。日頃のおこないがさほどいいとは思わないが、好天に恵まれたwithコロナの夏山になった。遠出自粛なのかGo Toトラベルなのか、訳のわからない世の中だけど、やはり出かけてよかった。

ほとんど都会の上高地、人はそれなりに多いものの、中国語や韓国語を耳にすることがないのは、今年ならではということか。お約束の河童橋の1枚は奥穂高に雲がかかっていた。そして、私が上高地に着いた2日後に小梨平キャンプ場で女性が熊に襲われるという事件が起きた。

【速報】上高地のキャンプ場 熊に襲われ女性けが
 9日午前0時ごろ、松本市安曇の北アルプス上高地の小梨平キャンプ場で、テント泊をしていた50代女性がツキノワグマに襲われた。女性は右脚を10針縫うけがを負った。命に別条はないという。環境省中部山岳国立公園管理事務所によると、テント内の食料をあさろうとしたツキノワグマの爪が刺さったという。同キャンプ場は9日、ツキノワグマが捕獲されるまで閉鎖するとした。 (8月9日 信毎Web)

まさか、こんなところでと吃驚するのだが、人に近いところにいる熊だからこんなことになるのかも。船窪小屋から烏帽子小屋まで、北アルプスの中でも有数の閑散地帯を歩いたときは、獣の臭いや糞だらけだった。そんなところの熊は人が来れば逃げて行ってくれるようだが、かえって都会地に近いほうが危ないのかも知れない。

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