バーリ歌劇場来日公演「トロヴァトーレ」 〜 稀少な"らしさ"
2018/6/30

イタリアのオペラハウスの来日公演といえば即ちミラノ・スカラ座だった昔のことを思えば、ずいぶんいろんな街の劇場がやって来る。ローマ、フィレンツェ、ボローニャ、ヴェネツィアあたりならメジャーだが、トリノ、トリエステ、パレルモともなれば知名度は落ちる。そしてとうとうバーリだ。長靴の踵のあたり、地図で確認しないと場所もはっきりしない。とは言え、今回のキャストはすごい。間違いなく今年いちばんの聴きものだとカミサンの分もチケットを確保したのに、直前になってバルバラ・フリットリの来日キャンセル。気管支炎だったら歌うことなど無理とは判っているものの残念でならない。

レオノーラ:スヴェトラ・ヴァシレヴァ
 マンリーコ:フランチェスコ・メーリ
 ルーナ伯爵:アルベルト・ガザーレ
 アズチェーナ:ミリヤーナ・ニコリッチ
 フェッランド:アレッサンドロ・スピーナ
 イネス:エリザベッタ・ファッリス
 合唱:バーリ歌劇場管合唱団
 管弦楽:バーリ歌劇場管弦楽団
 指揮:ジャンパオロ・ビサンティ
 演出:ジョセフ・フランコニ・リー

フリットリに代わるスヴェトラ・ヴァッシレヴァは2015年の新国立劇場での「マノン・レスコー」の題名役を歌ったときに聴いている。舞台姿はいいし、声に力もある。開演前に屋外ベランダの喫煙所にいたら階下の楽屋から彼女の声が聞こえてくる。難しいコロラトゥーラのパッセージをさらっているようだ。このレオノーラもいい出来なんだけど、やっぱりフリットリを聴きたかった。今回の病気は別にして現在の彼女の状態については知らないが、他の人では聴けない完璧なフレージングを思い浮かべると、残念さが募る。ヴァッシレヴァは充分に空いた穴を埋めてはいたんだけど。こうなると好みの問題でしかないが。

フランチェスコ・メーリは10年前の「マオメット二世」で聴いていた。ロッシーニを歌っていた人が、今はヴェルディ。先年BSで放映されたザルツブルグでのマンリーコもこの人だった。いま、吟遊詩人役では最右翼ということだろう。まさにパワー炸裂だ。疲れを知らない馬力、これだと件のカバレッタの繰り返しもやるのではないかと思ったほど。いくら声が出てもドイツ系のテノールではこうはいかない。イタリアオペラで歌が興奮を引き起こすというのは、蓋し音色が重要だと思う。

低声部の男声がいい。アルベルト・ガザーレの伯爵はヴェルディのバリトンのノーブルさと劇的な歌唱とのバランスが見事だ。冒頭のフェッランド役のアレッサンドロ・スピーナのアリアもいい。この長すぎるぐらいのナンバーでバスが非力だとオペラの出端がくじかれる。他のキャストが挽回するのに時間がかかってしまう。フェッランドはそれだけ重要な役なのだ。なので、いつもハラハラして聴くのだが、今回はそんな心配は無用だった。

アズチェーナのミリヤーナ・ニコリッチは微妙だ。これは役作りの問題かも知れない。ありがちなロマの女のおどろおどろしさが前面に出てしまうのは好みではない。昨年に豊橋で聴いた谷口睦美さんのアズチェーナの素晴らしさが記憶に新しいので、余計にそう感じてしまう。老婆役だけどニコリッチはまだ若い人のよう、声の力はあるだけに惜しいなあ。

好みの問題はさておき、今回のキャストはフリットリの交替があったものの、充実の顔ぶれであったことは間違いない。コーラスも人数こそ多くないがベストエフォートと言っていい。要するに、歌を聴いていただきましょうという公演だ。いまどきこんな何もしない演出もあるのかと思うほどの舞台だが、そんなことはどうでもいい、これぞイタリアオペラの原点ということを実感。バーリだからこうなので、ミラノあたりだとそうもいかず、演出が目立って微妙に熱を下げることがあったりするのが皮肉なところ。

ジャンパオロ・ビサンティについては、昨年の新国立劇場の「ルチア」を聴いて東京のともだちが絶賛していたので期待していた。確かに、この人は歌の呼吸が判っている指揮者だ。ほんと、そういう人が少ないのだ。歌いやすいだろうと思う。それでいて歌手任せでべったりというのとも違う、手綱を締めるところは締める。でも出しゃばらない。この人は名指揮者だ。

東日本は早い梅雨明けのようだが、こちらはまだ発表がない。真夏日が続いてげんなりしているのに。と思ったら途中の休憩時間には、篠突く雨で琵琶湖は白く煙っている。そして、ピカッ・ピッシャーンと雷鳴が轟くという具合。終演後、JRは東海道線、湖西線も運転見合わせ状態で、京阪だけが動いているという状態だった。前日の湖東の竜巻に続いて滋賀県下は大荒れ。

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